花山法皇、白河法皇、良忠僧都、そして通観法印
花山天皇は退位をして、花山法皇というお坊さんになりました。
この花山法皇が、得道上人が埋めてしまったと言われているご朱印をまた見つけ出して、そして巡礼を始めたのです。
つまり、日本の巡礼が始まったのは、西国なのです。
ですから、得道上人と証空上人、そしてこの花山法皇がいらっしゃらなかったら、日本の巡礼文化というのは今のようにはなっていないわけです。
秩父でも同様に、札所だけではなく、アニメの『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や『心が叫びたがってるんだ。』などいろいろありますが、ああいう聖地巡礼というのは、この人たちがいなかったら始まっていないのです。
そして白河法皇も、やはり退位してから出家された方です。
天皇家というのは、もちろん神道の1つのシンボルとして、今でも祈りの世界で生活を送られていますけれども、実は仏教と密接につながっているのです。
泉涌寺というお寺は、歴代の天皇陛下がずっとお祀りされていますから、あそこは「天皇家の菩提寺」とも言われています。
そして、ここに良忠僧都という方がいらっしゃるということが、大事なことなのです。
鎌倉に光明寺という浄土宗第三の本山がありますが、そこのご開山、つまり浄土宗のお坊さんなのです。
ここで大切なのは、これが鎌倉だということです。
なぜ鎌倉の、しかも浄土宗のお寺さんのお坊さんが、この十三権者にいるのでしょうか?
これは、やはり鎌倉幕府が中心になって開いたのが坂東の札所ですので、そこをお坊さんとして表わしていると考えられます。
そして最後の十三番目、この通観法印が謎なのです。
実は、この人だけ分からないのです。
今までお話しした通り、秩父や鎌倉を代表したり、山岳信仰を代表したり、または西国の代表だったり、阿弥陀様、薬師様、あるいは地獄と、札所に関わるいろいろなエピソードがみんなあるのです。
ところが、この方にだけないのです。
この人は実在の人物で、どうも東大寺の学僧だったらしいということは伝わっています。
法印というのはお坊さんの名前でもあるし、実は仏師、仏様を彫る人の名前でもあるようなのですが、本当にこの方が謎なのです。
三十三箇所、または三十四箇所の創立に関わったのはないかと考えられていますが、そうでないと十三権者の1人に列せられないはずです。
しかも、実際に大きな力を果たしたのは、実はこの通観法印ではないかというふうに言われてもいます。
さて、十三権者、十三の方々のお話をさせていただきましたけれども、皆さんいかがでしたでしょうか。
実は、それぞれの方を掘り下げていくと、もっともっと面白い話があります。
特に蔵王権現は面白い方なのですが、それはまた別の機会にご紹介しましょう。