喜捨
「何で、神社やお寺に行くとお賽銭を投げ入れるんでしょうか?」という質問をいただきました。
お賽銭というのは、自分を捨てる行為なのです。
お釈迦様が一番回数を説いているのは布施ですが、何のために布施をするのかというと、自分のためにするのです。
「喜んで捨てる」と書いて喜捨となるわけですが、布施をすることができた私がありがたいのです。
つまり、功徳を積むことができたから「喜んで捨てる」と書くわけです。
このお寺は喜捨のお寺です。
汽車がすぐ近くを通りますから、観光シーズンになると「ポーッ!」と汽車が鳴るのです(笑)。皆さん、汽車が聞こえる時には喜捨をしてください。
……汽車というぐらいですから、脱線してしまいました(笑)。
お賽銭を投げ入れて「何とかしてください」と願うのは、実は少し勘違いなのです。
喜捨は願い事を叶えるためではありません。
「喜捨をできて良かった」と感じるためのものなのです。
お寺や神社に行った時に、小さな願い事は頭に描かないことです。
いいですか、鰐口は5回ほど、思いっきり「パッカーン」と鳴らしてください(笑)。
これは冗談ですが、鰐口を鳴らして「仏様、観音様、私は今来ました」と告げてください。
そしてお金、つまり自分を捨てるお金を投げ入れて、「喜んで喜捨をさせていただいてありがとうございました」と言って、できるならお経を唱えるのです。
それも、「お経を唱えることができたので、これで願い事を叶えてください」ではダメなわけです。それはエゴなのです。
このエゴを捨てるためにお賽銭を投げているのです。
エゴを捨てて「ありがとうございました。捨てることができました」と感謝する、それを積み重ねていただくと、本当に捨てきった時に、きっとあなたの心も体も変わっているはずです。