殿鐘と木版
お寺には鳴らしものがあります。
もちろんお寺によって掲げてある場所は違うのですけれども、1つは「殿鐘(でんしょう)」と言います。
これで「法要が始まりますよ」という合図を知らせるわけです。
お寺は広いので、殿鐘(でんしょう)のところで係の人が待っています。
法要の準備が終わると「カチン」という音が鳴るので、「準備ができたよ」と知らせる合図をまた鳴らすわけです。
すると、いろいろな所から坊さんが集まってくるのですが、そこで「お坊さんが本堂に上がっていったよ」と知らせます。
そうすると、法要の真ん中で勤める代表の方が、やおら登ってきますから、そこで「登ったよ」と鳴らして始まるわけです。
禅宗では、こういう鳴らしもので人が動くのです。
合図は口ではなく、みんな鳴らしものです。
ですから、この鳴らしものの意味が分かっていないと、大変なことになります。
もう1つが「木版(もっぱん)」と言います。
これにもいろいろな役目があります。
例えば、坐禅をするときにはこれで合図を鳴らします。
坐禅をする専門の所では毎日たたきますから、真ん中だけどんどんへこんでいきます。
これがパカーンと割れると坐禅ができなくなって休みになるので、修行僧はみんな本気でたたくわけです。
ところが、なかなか割れないのです。
あとは、特別な法要が始まる時にもこれで合図を出します。
慈眼寺の木版(もっぱん)には「慎勿放逸(しんもつほういつ)、慎んで放逸することなかれ」と書いてあるのですけれども、「放逸することなかれ」というのが本当に大事です。
放逸ということがとても大切なのですけれども、これを語るのはまた別の機会とします。