誰もが皆素晴らしい力を持っている
私は、誰もがみんな素晴らしい力を持っているということを高らかに信じています。
これは私の中では結構大切なことなのですが、そのきっかけは、私の父親なのです。
私の父親は、秩父で障害を持った子どもたちの教育を始めた人です。
昭和24年から取り組んで、教員を辞めた後も、亡くなる直前までずっと取り組んでまいりました。
小学校から始めて、中学校、そして今でいう特別支援学校を作りました。
さらに「高校を卒業すると行き場所がないじゃないか」ということで、今のさやか学園を立ち上げたわけです。
そのようにして、秩父で障害を持った人たちをサポートする礎を築きました。
当時は養護学校と呼んでいたのですが、特別支援学校を作るころには、敷地などを見に行ったりした記憶があります。
そんな時に、うちの父親は「おまえね、ああいった子たちは障害を持っているだろう。はたから見ると何かすごく劣っているように思うけど、そんなことはないんだ。すげえんだぞ」と、よく言っていました。
「大体おまえ、秩父鉄道の駅を羽生から三峰口まで全部言えるか?」と聞くわけです。
もちろん、私は言えません。
「すごいんだよ、鉄道が好きな子は一度見たら全部覚えちゃうんだ。演歌が好きな子は一度聞いたら全部歌えちゃうんだ。とんでもない力を持っているんだ」
「障害があるとか障害がないとか。また今どういう状況にいるとか、そんなことは関係ねえんだ。みんなすごい力を持っているんだよ」
そう言われたことが忘れられないのです。
私も幼稚園の教育に関わって、子どもたちの力をどうやって伸ばせばいいか、また自分の力をどうやって伸ばせばいいかということを考えておりました。
それで、さまざまなことに取り組んだのですけれども、「ははあ、本当に子どもの力っていうのは、大人が思っている以上にすごいんだな」と感じたわけです。
大切なのは、そのことを高らかに信じるということなのです。
ほとんどの人はそれを信じずに、「どうせこいつはダメだ」「あいつはこういうやつだ」と決めつけてしまいます。
そんなことはありません。
どんな人も、どんな子どもも、どんな状況にいても、実はみんな素晴らしい力を持っているのです。
そのことを仏教では「仏性」、仏様になる性質というのではないかなと考えています。
しかし、仏様になる性質が仏様そのものなのだということをなかなか信じられないのです。
道元さんは「一切衆生、みんな仏なんだ。仏様になるんじゃない、仏様そのものなんだ」という考え方でいたわけです。
誰もがみんな素晴らしい力を持っている、つまりみんな仏様なのだということを高らかに、微塵の疑いもなく信じることが大切なのです。
それが私の父親の言葉、あるいは父親が実践していた教育・保育観からの学びでした。
誰もがみんな素晴らしい力を持っていて、そしてそのことを高らかに信じる、これは全ての方に当てはまるはずです。
友達関係、夫婦関係、親子関係、上司と部下、地域との関係などありますが、どうしても人間は自分がかわいくて、自分が正しいというふうになってしまいます。
しかし、「みんな仏様」という見方を持ちたいと感じて、この言葉を大切にしています。