靴をそろえ いすをしまう
靴を揃え、椅子をしまう、是が躾の三原則の三つ目だ。
一見、別々に思えるが、靴を揃えることと椅子をしまうことは、同じ事なのだ。必ず自分の後ろを振り返ること、やりっ放しにしないことの教えだ。
意識すれば、習慣化される。が、何となく過ごしているとできない。脱ぎっぱなしになってしまう。
何気なく暮らさない意識つけとして、靴を脱いだら揃える。しまう場所があれば、そこにしまう。
なければ、かかとを揃えて、すぐに履ける向きにしておく。
座っていた椅子は、立った机の下にしまう。いつでも意識して実行していくと、頭で考えることなく、体が動いてしまう。
これ、かなりの人ができない。おそらく90%ほどの人は、意識していないだろうと思われる。
自分の靴のことには、意識が向いても、トイレのスリッパは、どうだろう。次の人のために、履きやすいように揃えて出てくるだろうか?
いつでも椅子をしまっているだろうか?宴会でのスピーチの際や乾杯の時は、椅子をしまっているだろうか?
毎日の暮らしのささいなことを、あらゆる事で何気なくやらない。あらゆる事を意識してやるという事に繋がるのだ。
靴を揃える、これだけでいいんだけど、実はこんな事ができない。
私が子どもの頃、靴を揃えること、特にトイレのスリッパを揃えることは、繰り返し繰り返ししつけられた記憶がある。
でも、身についていたわけではない。徹底的に体に叩き込まれたのは、本山修行時代だ。
修行僧は、本山内を単草履(たんぞうり)というスリッパのような、履き物をはく。歩くとき、単草履をぺたぺたと音をたててはいけない。
脱いだ時は、決められた場所にきっちり揃えておく。
これが、しっかりできていないと厳罰が下る。個人的な罰の時もあれば、連帯で罰を受けるときもある。
もうぴりぴりする位緊張して、歩くし、脱いだら揃えた。
有無を言わせず、体に染みついてしまうのだ。
この教え方がいいか悪いかは、別として、履き物をそろえるという事は、それほど重要なことなのだ。
はきものをそろえると 心もそろえる
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときに そろえておくと はくときに心が乱れない
だれかが乱しておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすれば きっと
世界中の人の心もそろうでしょう
藤本幸邦