ポリシーについて深く考えた
ポリシーとは、自分の行動規準。自分軸を形作るもの。こだわり。
ポリシー、自分軸を持つと動じなくなる。
ぶれない軸を持つことが大切だ。
ポリシーに従うとは、自分に従うことである。
すると、従うのにふさわしい自分になる必要がある。
すると理想の自分を定める必要がうまれる。
理想の自分が過ごす理想の一日を決める。
理想の一日を過ごすことが、ポリシーに従う生き方と合致している。
生き方そのものが、ポリシーとなる。
うーん・・・禅と同じだ。
もう少し、深く考えてみよう。
ポリシーって、つまりは、「私は○○する」「私は○○しない」ということだよね。
「あなたは、○○しなさい」「あなたは、○○しなければならない」という
自分以外の誰かからの指示であったり、集団の決まり事でない。
「私が、○○する」ということ。自分が主体だ。
このことを少し深く考えていったら、ふと、仏教の戒と律に思い至った。
仏教だけではないが、宗教には、戒律がある。戒律と一緒にして語られたり、説明されることが多いが、
仏教では、戒と律は、別のものだ。
まず、律である。
律は、集団の決まり事、ルールである。
出家した僧が、集団で生活する上で、細かな決まり事を決める必要が生じ、定められた。
集団というのは、放っておくと崩壊してしまうものだから、決まりが必要なのだ。
出家した僧侶の集団が、一緒に生活する上で、こと細かな決まり、つまり律が定められた。
「○○してはならない」という禁止事項が多い。
律の数は、400を超えるほどになった。
一方戒は、自分が守るべき規準のことである。
集団における決まり事ではなく、自分の内面における決まり事である。
「私は、○○する」というように自発的な言葉で語られる。
仏教の戒で代表的なものは、三帰戒(さんきかい)である。
南無帰依佛(なむきえぶつ・私は佛に帰依します)
南無帰依法(なむきえほう・私は法に帰依します)
南無帰依僧(なむきえそう・私は僧に帰依します)
私が、佛を信じますということで、あなたは佛を信じなさいとは言っていない。
私は、○○するというように、私の内面に向かっている。
自分を自分で律するのが戒である。
このように考えるに至って、
つまり、ポリシーとは、戒とほぼ同じ意味を持つことに気づいた。
毎日が理想の1日をすることが出来るように、戒に従って生きることは、ポリシーに従って生きるということだ。
ポリシーとは、戒である。