本当かどうか分からない旗下山のいわれ

秩父は河岸段丘にあるのですが、駅の方は1つ上に位置しています。

もともと慈眼寺はそちらにあったようです。

そこからちょうど崖のようになっているので、この辺りは「旗の下」というふうに言われているそうです。

 

ある人の説によりますと、武田信玄が秩父を攻めた時、市役所の前の辺りに陣を張ったそうです。

陣を張るにはある程度の広さと水が必要になりますが、この辺りにはその両方がありました。

陣を張るということは旗を立てるわけですが、どうもそれが「旗の下」という地名に関係があるのではないかという説もあります。

 

また、このお寺は、日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)が旗を立てたから「旗下山慈眼寺(きかさんじげんじ)」だというふうにも言われています。

しかし、これも本当かどうかは分かりません。

 

本当かどうか分からなくてもいいのです。

よく考えてみてください。

なぜ私たちがこうして生きているのか、その理由も分からないではありませんか。

ですから、今こうして生きていること自体がありがたいわけです。

 

先人が作ってきた数々の神話やいわれ、因縁、お話、物語が今の私たちを作っています。

ですから、この慈眼寺でもそういったお話を大切にしていきたいと考えております。

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