3つの布施

今回は「布施」についてお話しします。
多くの方がお寺さんにお納めする「お布施」のことはご存知ですが、それは布施の中の1つの種類でしかありません。
布施にはいくつかの種類があるのです。

まずは「法施(ほうせ)」です。
お釈迦様の教えや、法そのものを皆さんに説くこと、それを「法施(ほうせ)」と言います。

そして「財施(ざいせ)」です。
財というのはお金や物を指します。
「財宝二施(ざいほうにせ) 功徳無量(くどくむりょう) 檀波羅密(だんばらみつ) 具足円満(ぐそくえんまん) 乃之法界(ないしほっかい) 平等利益(びょうどうりやく)」という、お布施をいただいた時に唱えるお経があります。

そして3つ目が「施無畏(せむい)」です。
人間は、自分が知らないもの、初めてやることには畏(おそ)れがあります。
また、心には一歩踏み出す勇気がなかったりするのです。

観音様には、そういう畏れ取り除く布施があるわけです。
「どうぞやってごらんなさい、怖気づかなくても大丈夫だよ。心が弱ったままでもいいんだよ」といったことを伝えるのも、また布施なのです。
このように、物や教えだけではなく、心を寄せるという布施もあるわけです。

菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)という、人と接する時の4つの心構えや実践すべきことの中に「同事(どうじ)」というものがあります。
これは「心を寄せる」「そばにいる」という布施なのです。

私たちは、困っていたり、弱っていたりする人を見ると「何かしてあげたいな」と思ってしまいます。
しかし、そうではなく、そばにいるだけでいいのです。
そっと手を添えてあげること、これが布施なのです。

誰かと手を触れ合うだけで、オキシトニンという幸せホルモンが分泌されるそうです。
そう考えると、自分を幸せにするためにも、誰かとつながっているということが大事なわけです。

今も「ああ、自分はダメなやつだな」と感じている方がいらっしゃるかもしれませんが、誰もがこの世に生まれた、とてつもなく尊い存在なのです。
畏れを抱く心があるからこそ、自分を守ることができるわけです。

誰かが弱っていたり、心を痛めていたりしたら、そっとそばに行って手を添えてあげてください。
そこに言葉はなくても、あなたの布施は必ず伝わります。

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