生まれ変わっていくお寺
今回は秩父の札所十一番、常楽寺のお話をいたします。
常楽寺の御詠歌は「罪とがも 消えよといのる さかごおり 朝日はささで 夕日かがやく」というものです。
常楽寺の近くに坂氷(さかごおり)という場所があるのですけれども、冬になると坂が凍ってしまって、おそらく江戸時代からもそうだったのでしょうけれども、通る人たちが難儀をしたそうです。
先々代の住職から聞いたのですけれども、御本堂のところには、お花やお水を供えたりする器があります。
これは銅でできているのですが、凍って割れたそうですから、これは本当に寒いです。
とにかくここは寒い所で、坂氷(さかごおり)という地名は間違いではありません。
冬になると本当に厳しくて、特に後がすぐ山ですから、朝10時を過ぎても日は射しません。
もともと常楽寺はとても大きなお寺でしたが、明治11年にこの辺り一帯が火事で焼けてしまいました。
その火事で、秩父札所十三番慈眼寺や札所十五番少林寺も焼けました。
しかし、焼けた常楽寺を、秩父の札所十一番だということで、熊木の地区の人たちがみんなで力を合わせて守ってきたのです。
その当時、このお寺には住職がいませんでした。
観音様は十一面観世音菩薩ですけれども、その観音様をみんなで守ってきて、明治から大正、昭和、平成、令和と続いてきているわけでございます。
そういう経緯がありましたので、再建されて小さな御堂になっておりますが、以前は仁王門があって仁王さんもいたわけです。
実は、その仁王さんが火事の時に動き出していろいろなものを運んだみたいな、そういう逸話が残っているようです。
このように、火災から復興まで大変苦労したお寺です。
こちらのお寺、今は曹洞宗なのですが、もともと天台宗でした。
火事の後、廃寺、要するにお寺としてはなくなってしまったのですが、地域の人が守って何とか続いてきました。
それを私の祖父である柴原弘道が「何とか残さなきゃならない」というので、宗教法人法が施行された時に、慈眼寺の離れた場所にある寺として登記したのです。
そこで宗教法人として形を整えて、そして昭和54年に、新たに常楽寺というお寺として宗教法人格を取って今に至っております。
ですから、このお寺自体の歴史は古いのですけれども、歴代住職とすると、曹洞宗では先代が三代目ということで、歴史は浅いのです。
しかし、もともと天台宗だったところが曹洞宗となっているから、そういう意味では非常に面白いお寺でございまして、全然曹洞宗らしくありません。
大体、どこのお寺にも御真言があるのですけれども、常楽寺にも観音様の御真言「おん ろけい じんばら きりく そわか」が書かれています。
十一面観音の御真言には、真言宗系と天台宗系の2種類ありますが、これは天台宗系の御真言です。
このお寺はもともとは天台宗であった、それが今は曹洞宗になって、そして秩父の札所十一番として守られているのだということをお話をさせていただきました。
ちなみに、このお寺には朝日は射さないのですが、夕日がすごいのです。
しかも、これをコンパスで見ると真西に建っているのですが、札所というのは、そういう場所に建っているものなのです。