仏教で「頑張る」とは?
よく「頑張りなさい」「頑張れば何とかなるよ」と言ったり、応援したりします。
実は仏教では、これはあまり良い言葉ではないのです。
仏教では「我を捨てなさい」「自分の物差しを捨てなさい」ということを言っていますが、「頑張る」は「我を張る」という言葉を由来にしているからです。
仏教学者のひろさちやさんという方が「子どものころは、あまり良い意味で『頑張る』という言葉を使っていなかった」と書いていました。
「あの人は強情っぱりだ」「我ばかり張って」と、要するに自分のことしか考えていないような人について、「あの人は頑張っている人だね」と言っていたそうなのです。
つまり、今90代ぐらいの人が子どものころは、もともとの意味に近かったらしいのです。
「しかし、その意味がいつのころからか変わってしまって、みんなを応援する言葉になった」と言っていました。
そこで私は、「我を張れ、我を張れ」と応援することで、自分のことを優先する人を生み出してしまったのではないかと思ったわけです。
そうすると、結局は我と我のぶつかり合いになって、戦いモードになってしまいます。
戦いモードになるとストレスがたまって、結果的にみんなが疲れてしまう、それが「頑張れ」というメッセージの中から生まれているのかもしれません。
だからといって、「頑張れ」に代わる、応援するための良い言葉は思いつきません。
「ワッショイ」でも違うし、「フレーフレー」というのも今はあまり言わなくなりました。
お正月恒例の駅伝で、沿道の人たちがみんな「フレーフレー」と言っているのも、何だかおかしい気もします。
「頑張れ」という言葉はすっかり定着しているので、これを覆すのはとても難しいことです。
しかし、この言葉が、自己中心的で自分のことが優先となってしまった世の中の流れと、どこかでシンクロしているような気がして仕方がありません。
皆さんも「頑張らない=我を張らない」ようにして、毎日を生きていきましょう。