教えない
学びや気づくきっかけを与え続ける。
子どもも大人もみな同じ。
人には、成長しつづけたいという欲求がある。脳は、知りたいのだ。
自分の成長は、大いなる喜びだ。
教えないというのは、自らすすんで考え、自らを律し、答えを導いていくと言う意味で使っている。
自分で課題を克服する力をつけることが、とても重要だと考えているからだ。
私は、職員スタッフにほとんど指示しない。だから、うちの職場では、指示待ちの人は働きにくい。
お寺でも学園でもそうだ。お寺の縁日でお手伝いしていただく方々は、だれの指示を待たずに、自らの場で力を発揮してくれる。
先輩も後輩に、手取り足取り教えるということはしない。
見て学んでいる。
人間は、見て学ぶことが出来る。
子どもたちは、少し上のおにいさんおねえさんを見ている。そのカッコイイ姿を見るまなざしは、真剣だ。一瞬たりとも見逃さないという意志を感じずる。
あこがれのまなこだ。
運動会直前。全クラスの子が、皆の前でリハーサル。
年長クラスの発表を見つめる下のクラスの子どもたちの輝く目。見終わった後、必ずまねを始める。そして、自分たちの種目も一気にレベルアップするのだ。先生が、口を酸っぱく言うことの何倍も効果が高い。
常に高みを目指すリーダーがいる。その影響は、目に見えないが、計り知れないほど大きい。
組織内部の人は、そこから学び取る。そして、自ら進んで動き始める。
受動的な、学びと能動的な学びでは、身につく量に大きく差がある。
学ぶ気持ちになっていない人に、何を伝えても身につかない。
とても、大切な事は、その人の気持ち、つまりコップを上向きにしてあげることだ。つまり、やる気にさせること。
コップが、上向きになれば、勝手に水を受け入れることが出来る。
ノウハウを教えても、その効果は、絶大ではない。全体の15%にしか過ぎない。子どもたち(クライアント)そのものが持っている力が、大きなパーセントを占めている。
そして、同様に、先生(メンター)との信頼関係(ラポール)ができていなければならない。
クライアント、子どもたち、スタッフの力を存分に引き出すには、まず、教えることをやめ、やる気にさせることだ。