伝説の新年太鼓
私は昭和59年に、横浜の鶴見にございます曹洞宗の大本山總持寺に上山をいたしまして、昭和62年にお山を下りました。
これを「送行(そうあん)」と言います。
大本山總持寺にはたくさんの方が修行をしておりますが、朝は「振鈴(しんれい)」という大きな鈴の音で目を覚まします。
面白いことに、12月31日は振鈴を2回鳴らさなくてはいけません。
朝はいつものように起きるわけですが、夜に少し眠った辺りでもう一度起こすのです。
なぜかというと、1月1日になった瞬間に鐘を突き始めるし、門は開けなくてはならないし、御祈祷が始まってしまうからです。
これはもう60歳以上の人は絶対できません。
それほど新年の当番というのは体力が必要なのですが、みんな20代で若いから大丈夫なのです。
今は少し違うのですけれども、總持寺にはたくさんの方がお参りに来て御祈願をします。
そこには千畳敷の大きな本堂がありますが、新年の御祈願の時には太鼓が2つあるのです
東側と西側に2つあって、これを合わせてステレオで叩くわけです。
本当は、木魚をたたいたり鐘をゴーンと鳴らしたりというような御役の人でないと太鼓をたたけません。
ところが、新年の御祈願の太鼓は、本堂でいろいろな法要を進行するための裏方である「侍真寮(じしんりょう)」という方々がたたきます。
私も3年目の正月に、福島県のご住職と一緒に侍真寮として太鼓の役をやりました。
2人でずっと練習するわけですが、大体2人でたたくと合いません。
ですから、いわゆる譜面はなかったのですけれども「五蘊皆空(ごうんかいくう)の時にドンドンとやれ」とか、そういうふうに決めるわけです。
それで、完璧にステレオの太鼓をたたくことができました。
これが結構伝説になりまして、何年か経っても「あの時の太鼓は……」と言われていました。
その時に一生懸命太鼓をたたいたのが1つのきっかけとなって御祈願の太鼓を身に付けた、それが大本山總持寺のお正月にまつわる私の体験でございます。