慈悲
観音様というのは「慈悲」の象徴です。
慈眼寺の「慈」「慈しむ」、それに「悲しみ」で「慈悲」となります。
よく「慈悲の心を持ちましょう」と言われますが、どうすればいいのでしょうか。
慈眼寺の観音堂の正面には「大悲閣」と書かれています。
つまり、これは「大悲の建物」という意味です。
観音様の慈悲の心が「大悲心」ということになります。
「悲」というのは「苦しみを抜く」ということなのです。
「多くの人たちの苦しみ、悩みを取り除いてあげましょう」という心、これが「大悲心」です。
そして「慈悲」の「慈」というのはどういう意味かというと、これは「多くの人に楽しみを与える」という意味なのです。
つまり、観音様というのは、楽しみを与えて苦しみを抜く人なのです。
これが観音様の慈悲ということになります。
これはお坊さんだけではなく、どなたにでもできるわけです。
そばにいる人に楽しみを与えるにはどうすればいいのでしょうか。
それは笑顔でいること、笑顔を返すこと、あるいは優しい言葉を使うことです。
それがすべて「大慈」の心なのです。
そして「大悲」というのは、人が持っている苦しみや悩みを取り除いてあげる心です。
それはそばにいることかもしれないし、ハグすることかもしれません。
あるいは、励ます言葉をあげることかもしれないし、想いを寄せることかもしれません。
つまり、その方の悩みや苦しみを聞いて、具体的にどうすれば解決できるのか、少しでもいいから動くことです。
完全に解決してあげることなどできませんから、少しでいいのです。
ほんの少しだけ苦しみを取り除いてあげる心を持つ、それが「大悲芯」ということになります。
慈眼寺の観音堂は「大悲閣」、つまり「お参りをすると少しでも苦しみや悩みが取り除かれる場所」であるということです。
これを理解すると、自分たちの日常の言葉遣い、生活、または行動などに違いが現れてきます。
今回は観音様の御心についてお話ししました。
私たちもその御心を持てますから、慈眼寺の観音堂にお参りをし、「大慈」「大悲」の心を持ち帰りいただきたいと思います。