私がやります

誰もやらない?では、私がやります!

 

 

人には、様々なタイプの人がいる。

 

他の人と同じがいい人

他の人と同じでは、いやな人

 

 

他の人は、どうするのか気にする人

他の人の行動を見てから考える人

他の人が、どう考えようが、

どんな行動をしようが関係なく、自分で判断し動く人

 

 

誰かがやっているかどうかが、大事な行動基準になる人が、いる

この人は、誰もやっていないと何もしない人ということになる

 

 

判断基準が、外にあるか内にあるのか、ここに大きな違いがある

 

私は、まわりがどう考えているのかが、大事な判断基準になることはない

 

 

自分はどうなのか?

自分は、何が出来るのか?

なぜ、自分なのか?

 

 

他の人の考えや行動は、あまり気にならない。

全く気にならないわけではないが、あまり気にならない。

 

大きな組織で、よく聞かれる判断基準がある「前例がない」

 

これ、私はわからない。

すべてのことは、はじめて取り組むとき、前例はない。

 

前例がないということで、判断してしまうのは、

何もやらないと言っていることと同じだ。

 

世の中に必要とされることだけど、

誰もやらないことが、世の中にはたくさんある。

おおむね、手がかかり、面倒で、お金もかかり、利益が出ないことだ。

 

 

もしかしたら、大きな価値があるかもしれないが、誰もやらない。

 

 

また、事業完了後大きな成果が期待できるけど、

誰もやらないこともある。

達成される間に起こる困難にひるんで、逃げてしまうからだ。

 

 

たとえ1人でも、誰かが手を差し伸べることで、

少しでも役に立つことがあるなら、取り組むべきだ。

採算は二の次だ。目に見えない利益は、実ははるかに大きい。

 

幼稚園の障害児受け入れは、その例だろう。受け入れるには、赤字覚悟が必要だ。

 

 

目先の利益にとらわれることなく

目に見えない利益を手にすることに

力を注ぎたい、そう願っている

 

だから、今秩父で課題になっていることを

何とか実現できないか、研究を始めている

すでに、他地方で、成功事例もある。

ということは、出来ないことではないという証だ。

 

誰もやらないことだからこそ、大きな価値があるのだ

 

 

誰もやらないの?では、私がやります。

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