パラリンピックを観て考えたこと
パラリンピックが始まりました。
毎日、障害を持った方々の全身全力のプレーに本当に心が動きます。
昨日(8月26日)は、両腕のない方が活躍している水泳、またそのクラスの人たちのリレーを見ました。
中国が圧倒的な強さで優勝したのですけれども、その姿を見て思い出したことがありました。
私の父親は、昭和24年からずっと秩父市で障害児教育に携わってきました。
秩父市で初めて、障害を持った小学校の子どもたちの特別学校を作り、その子たちだけの教育を始めました。
そして今で言う特別支援学校を作り、さらに特別支援学校を卒業した後の施設も作って引退したわけですけれども、そういう形で障害を持った人たちとは深く関わっていました。
そんな父親が小さい私に話してくれたのが、大石順境という方の話です。
大石順境という方の名前を聞いてすぐに思い出せる人は、よほどの福祉関係の情報を集めているか、当時の状況をまだご存知の方か、あるいはドキュメンタリー映画を観た方かもしれません。
大石順境さんというのは尼さん、お坊さんですが、もともとはお坊さんではありませんでした。
ごく普通の家庭で生まれて、いろいろな事情があって養女に出されます。
そして、養女に行った先でいろいろな芸事を覚えて、いわゆる芸子としての仕事に就くようになりました。
ところが、義理のお父さんが、自分の奥さんが不義理を果たしたのではないかということで腹を立て、大きな刀を持ち出して一家惨殺をしたという事件があったのです。
そこで唯一生き残ったのが大石さんだったのですが、両腕を切り取られてしまいました。
その時はまだ10代、「これからどうやって生きていけばいいか、でも踊ることができる」ということで、地方を巡業していくような生活で何とか人生の歩みを進めます。
しかし、今まで使えていた、あって当たり前だと思っていた腕がなくなってしまったわけで、おそらく途方に暮れていたのではないでしょうか。
そんな時、ある巡業先で、ふと窓の方を見たら音が聞こえたそうです。
それは鳥かごに中に入っていたカナリアの声だったのですが、それを見て大きな気付きを得ます。
「カナリアは手がないけど、くちばしでみんなできるじゃないか。くちばしで水も飲めるし、食事もできる。私には口があるじゃないか」ということで、それから大石順境さんは筆を口にくわえて絵を描くという仕事に取り組むのです。
そして、いわゆる障害を持った方々に指導をするということも始めました。
その後お坊さんになって、大石順境尼という尼さんとしてお寺に入り、自分と同じような障害を持った多くの方々を預かって、そのサポートをするという人生になりました。
今でもそのお寺は残っています。
ヘレン・ケラーが日本に来た時、確か大石順境さんはお会いしているはずです。
私の父が西国の札所にお参りに行った時に、晩年の大石さんと会っています。
そして『無手の法悦』という本を買って、それを私に渡したわけです。
これは「私は手がなくなったことで、たくさんのありがたいことと出会えた」という本です。
与えられた状況を「これは私にとって災いだ。どうすればいいんだ」と天を仰いで、人を責める人生もあります。
大石順境さんも、義父に腕を切り取られたわけですから、最初はそうだったはずです。
しかし、カナリアを見て大きな気付きがあって「いや、そうじゃないんだ」というところから、逆転の人生が始まるわけです。
今日も、福知山の脱線事故に遭って下半身不随になった、岡崎さんという方がアーチェリーの試合に出るのですが、最初はどうしようもなかったそうです。
しかし、お母さんがアーチェリーをやっていたということがきっかけになって、「自分にもできるかもしれない」とアーチェリーを始めて、ものすごく訓練をして、パラリンピックに出られるようになったわけです。
大石さんの時代はパラリンピックなどありませんから、今のように障害を持った方がもう一度再起をするということについては難しい状況でした。
ですから、皆さんは口に筆をくわえて、または足で描くというようなことを始めて、そして多くの人生の見直しをすることができたのです。
苦しいままで終わる人生もあるけれども「いや、そうじゃないんだ」というふうに切り替わる人生があったわけですが、それは脳も同じなのです。
脳が大きく変わるきっかけがあったはずなのです。
脳には可塑性があると言われていますが、脳は変われるのです。
私が置かれている境遇、あなたが置かれている境遇というのは、いい状況にあるかも、厳しい状況にあるかもしれないけれども、それがすべてではないはずです。
昨日のパラリンピックを見て、かつて父親から学んだ大石順境さんのことを思い出しました。
その後、私は大石順境さんの最後の弟子という方のドキュメンタリー映画を見ました。
その方は大石さんのもとに通うのですが、「誰かが手伝ってきてここに来るんだったら、私は教えないよ。1人で来なさい」と、全然弟子として扱ってくれなかったそうです。
やっと許されて教えてもらえるようになるのですが、その時「災いは災いじゃなくて、災いと福というのは同じだ」と言っていました。
つまり、同じような心持ちになっていったわけです。
災いを災いにしてしまうのは、私たちの脳なのです。
災いを災いでなくすことも私たちの脳はできる、そういうことを思い出した次第です。
パラリンピックはまだまだ続きます。
見たい競技がたくさんありますけれども、多くの方々を応援したいと思います。