愚痴
人は、意識しないでいると、つい愚痴を言ってしまうようだ。つまり、愚痴を言う人は、ある意味、当たり前なんでしょう。
しかし、2500年前釈尊は、愚痴を三毒の一つだとして、慎むようにお示しになられた。究極の幸せにたどりつけないと教えて下さっている。
でも、人は愚痴が好きだ。似たもの同士が集まって、誰かのちょっとした不幸を語り合うのが好きだ。愚痴の言い合いを楽しんでいる。意識せずに。
人は、意識していないとネガティブな思いに支配されてしまう。ネガティブな思いが愚痴を生む。そして、愚痴は、ネガティブな結果を生む。
ネガティブな思いは、体のバランスも崩してしまう。心が崩れると体に表れる。
だから、意識することが大事だ。意識してポジティブに生きる。ポジティブに受け止める。
一切行苦。全てのことは、苦であると釈尊は、言い切った。苦であると。この苦である一切をありのままに、プラスに受け止めることができるようにするのが、仏教なんだろうと私は、思う。
必ず問題や課題は起こる。生まれること、老いること、病むこと、死ぬことは、誰にも思い通りにならない。
思い通りにならないからこそ、学ぶことが出来る、気づきが生まれる。
一切行苦だからこそ、感謝することができる。
そうか、一切行苦じゃなきゃ、ダメなんだ。一切行苦だからこそ、涅槃寂静にたどり着くことができるだな。
みんなが、はっぴーになるためには、苦が必要。苦だからこそ、これをネガティブに受け止めることもできるし、ポジティブに受け止めることもできる。それは、本人次第。自分自身で決めることができるんだ。
一切行苦をポジティブに受け止めると涅槃寂静に近づく。ネガティブだと一切行苦のまま。
愚痴を言っていたら、一切行苦のまま。
ポジティブに生きると決めれば、愚痴は、勝手に出なくなる。