誰もがみな、素晴らしい力を持っている。そしてそのことを高らかに信じ切る。
誰もがみな、素晴らしい力を持っている。そしてそのことを高らかに信じ切る。
私の父は、戦後東京都の教員として、北区王子の小学校に着任した。
二年目には、三宅島に移動となり、島の学校で教員をしていた。
昭和22年頃のことである。新婚だった母も一緒に島に行った。
祖父は、不安になった。
「このままにしておいたら、長男(父)は秩父に帰らないかもしれない。」
祖父は、父を秩父に連れ戻した。父の三宅島生活は、1年で終え、秩父に戻った。
若き情熱に燃えたぎっていた父は、寺と教員の狭間に悩み、自ら進む道を探っていた。
あるとき、学校の職員室で、ある研修会の開催通知が眼に入る
障害児教育の関する専門家を養成する案内だった。
父に電撃が走った。
「これだ!」
心の底からこみ上げる思いに身震いするほどだったと父が述懐していたのを覚えている。
昭和24年、父は障害児教育に身を投じた。
父の教員人生の全ては、障害児教育に注がれた。
その当時の障害児教育の環境は、今と全く異なる。
差別的な扱いを受けることも少なくなかった。
子どもたちの家族の協力を得ることも難しかった。
それでも、父はあきられることなく、子どもたちの力を信じ、コツコツ教育した。
陶芸や学校の壊れた箇所の修繕に取り組むなどをして、人の役に立つことの喜びを子どもたちに伝えた。
まだ、幼かった私は、何度も父から聞かされた。
「いいか、みんな凄い力があるんだぞ!
ある子なんか、一度聞いた曲をすぐ覚えて、うたっちゃうんだ。
ある子なんか、駅の名前を全部覚えてるんだぞ。
凄いだろ。
誰もがみんな、素晴らしい力を持っているんだぞ!」
今、私は、幼稚園保育園を経営しているが、学園の経営理念に、この父の言葉を掲げている。
この言葉は、障害があるとかないとか、子どもだとか大人だとか関係がない。
まさに、”誰もが”みな、素晴らしい力を持っているのだ。
けれど、その素晴らしい力に気がついていない人が実に多い。
自分自身の力をもっともっと信じていい。
同様に、他の人みんなも素晴らし力を持っていると信じ切るのだ。
相手がどう考えようが、思っていようが関係ないのだ。
こちらが信じ切る。それだけで、大きな影響を持つのだ。