ゆるす
ゆるす。
これも、私のポリシーのひとつだ。
失敗を責めないことと通じているが、もう少し、大きな意味がある。
たとえ、相手がどんな仕打ちをしたとしても、ゆるすと言うことだ。
これは、かなりきつく、重い。
家族の命を奪った者、大きな後遺症を与えてしまっても、ゆるすことが出来るかどうかと言うことだ。
取り返しのつかないことであっても、ゆるすことが出来るか?
悔しい涙を流すことがあっても、ゆるすことが出来るか?
ゆるすには、「許す」「赦す」「恕す」がある。
赦されることを受け入れることが出来るだろうか?
人間の力では、取り戻すことが出来ないことがある。
命を奪ってしまった。取り返しのつかないことをした。
「なんでー!元通りにして下さい!返して下さい!」
これは、何と言われても、無理だ。
受け止めることが出来ない。無理だ。
許せないだろう。その通りだ。
で、赦す。
このことを考えると、いつも松本サリン事件の河野さんを思う。
事件発覚当初は、犯人扱いを受けた。
ひどい扱いをメディアから受けた。
奥さんをずっと看病していた河野さん。
どれほど、犯人が憎いかしれない。
しかし、河野さんは犯人を赦した。
その情報を得て私は、ふるえた。
ここまでの「赦す」という行為がありえるだろうか?!
ここまでの思いで赦すことが出来るだろうか?
でも、あえて私のポリシーの一つにしたい。
したいのだ。
なぜなら
できるかどうか、自信がないからである。
ゆるす。