未だ木鶏たりえず
2010年大相撲九州場所で、横綱白鵬が稀勢の里に負けました。
横綱白鵬は、63連勝中でしたが、ストップしました。
連勝記録が止まったことを訪ねられた白鵬は、こう答えました。
「残念です。未だ木鶏たりえず・・・。」
モンゴル人の白鵬が、この言葉を知っていることに素直に驚くと共に、白鵬の懐の深さに感歎しました。
われいまだ木鶏たりえず・・・とは、昭和の大横綱、双葉山の破れ、連勝記録が69でストップした日に、ある方に送った打電したと伝えられています。
ある方とは、双葉山が師と仰いでいた安岡正篤です。
安岡正篤とは、終戦の詔の草稿に関わり、平成という元号を素案したとも言われている方です。安岡に私淑した人は数知れず、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳という歴代の総理大臣を始め、戦後の経済界をリードした方々の多くが安岡正篤の人物に触れています。
さて、その木鶏ですが、これは中国の故事にあるお話です。鶏を戦わせる闘鶏というものがありますが、闘鶏を育てる名人紀悄子に、王が強い鶏にして欲しいと託すのです。
10日ほどたって、王が
「どうだ、鶏は強くなったか?」と尋ねます。すると紀悄子は、
『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答えます。
また10日ほどたって、王が「どうだ、鶏は強くなったか?」と尋ねます。すると紀悄子は、『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』 と答えます。
さらに10日ほど経って尋ねると
『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答えます。
さらに10日経過して王が質問すると
『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。
まるで木鶏のように泰然自若としています。
その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』
と答えたのです。
この故事に我が身をなぞらえ、70連勝がたたれた、双葉山が安岡正篤に伝えたのが、
「ワレ、イマダモッケイタリエズ」
でした。
連勝記録がストップした相撲の後、勝った時と同じように花道を帰り、支度部屋でも何事もなかったかのように、過ごしたと言われいます。
そして、その晩、本来は「たにまち」が元々宴席を設けていました。いきなりの敗戦に、励ます会の雰囲気になってしまいましたが、まったく平然といつも通りに現れた双葉山に、一同感銘を受けたと言われています。
白鵬は、これらのことを受けて、コメントしたのです。日本人より日本人かもしれません。