如来と菩薩、その違い
観音様とお釈迦様は、違うといえば違うし、同じだといえば同じ、これはどういうことなのでしょうか?
お釈迦様というのは実在のお父さんとお母さんがいて、実際に人として産まれて80年の生涯を歩んだ方です。
ゴータマ・シッダールタが悟りを開いて仏陀になったわけですが、悟りを完成した人として、「釈迦牟尼如来」と言うこともあります。
悟りを完成された人、それが如来というわけです。
このように完成した人がいる一方、修行中の人もいます。
これが菩薩です。
菩薩というのは修行中の人です。
観世音菩薩や地蔵菩薩、普賢菩薩や虚空蔵菩薩など、たくさんの菩薩がいます。
如来というのは修行が完成して悟った人で、菩薩というのは修行中の姿を表わしているわけなのです。
そういう意味で言うと、文殊菩薩は知恵、観世音菩薩は慈悲のように、たくさんのお釈迦様の教えを、それぞれの菩薩がいろいろな形で表わしているのです。
如来と菩薩というのは、役割というか象徴しているものが少し違うのです。
例えば、私たちはたくさんのDNAとRNAで完成されています。
そのRNAの1つ1つには、私たちが知らないだけで、それぞれ名前が付いているのですが、これが菩薩ということになります。
それぞれみんな違うけれども、1人の人間として完成されているわけです。
それがすなわち釈迦牟尼如来というふうに考えることができます。