住職が考える色即是空・空即是色

私はいくつかのインターネット上のコミュニティに参加しています。

そこはクローズなコミュニティーなのですけれども、経営者さんが投稿しているものに、いろいろとコメントを入れたりしています。

 

私も20代後半からいろいろな課題を経験していますので、60歳を過ぎて「こんなふうにすると、もっと気が楽になるんじゃないかな」みたいなことを書いたりしていたのです。

そうしたら、何人かの方とオンライン上でやりとりが始まりました。

 

それがなかなか仏教チックで面白くて、私が「良いことがあると、同じようにマイナスなことも起こるんだよね」と書いたのです。

そうしたら「光が当たれば影も生まれるということですか?色即是空・空即是色ですね」みたいな返信がきました。

 

私自身もそうでしたが、どうしても人間というのは良いことばかりに目が行きがちです。

ところが、「この目標に向かってやっていくぞ」という時に、必ずそれと同じだけのエネルギーでマイナスなことが起こるのです。

 

人間が目標に向かっていく時に、実は「我」というものが生まれます。

「俺が、俺が」というものすごいエネルギーがマイナスになって、それが自分に跳ね返るのではなく、周りに出るのです。

ですから、ここに気を付けなくてはいけません。

 

もう30年以上前になりますが、私は「よし、これをやるぞ」と言って新しく園舎を建て、結婚もしました。

そうすると、父親ががんになって、母親が動けなくなったのです。

不思議なことに、これが同じ時期に起きたわけです。

 

この状況を乗り越えようと、さらに「俺が、俺が」という気持ちが高まって、自分も疲れて身動き取れなくなってしまいました。

そして「ああ、落ちるとこまで落ちちゃったな」という気持ちになると、それがひっくり返ったのです。

 

色即是空というのは「俺が、俺が」というエネルギーに近いものです。

自分を貫こうとしても、壁が次々に出てきて「どうにもならないな」となった時に、それが空即是色に変わるのです。

 

「俺が世界を変えるんだ。俺が地域を変えるんだ」という意識がコロッと変わって、「私が動かされている」ということに気付くのです。

若い人が「俺が生きるんだ。俺がやるんだ。これが青春だ」とやっていると、年寄りが「いやいや、違うよ。生かされてるんだよ」とよく言うではありませんか。

 

私も実際にそう言われて、「何言ってんだこいつ?」と思いましたが、この年齢になって「生かされている」ということが分かってきました。

このように、「生かされている」という視点にひっくり返るのが空即是色なのです。

色即是空は「俺中心」、空即是色は「周り中心」ということです。

 

「俺が、俺が」というエネルギーを使い果たしてしまったら、違うものから突き動かされてくるエネルギーがあるのです。

ある方はそれを「宇宙の流れに乗る」と表現しました。

私はそれを「ダルマ」と言っています。

 

そういうエネルギーを感じた時に「私の力を超越した大きな力で生かされている、ありがたいな」という気持ちでポンと乗るわけです。

そうすると、事が進んでいくのです。

功成り名遂げて「俺は偉いんだ」などと言っているうちは、これはなかなか分かりません。

 

実はそのやり取りがコミュニティーの中で好評でしたので、もし「住職にこんなことを聞いてみたいな」というものがありましたら、YouTubeや私のFacebookのコメント欄に書き込んでください。

皆さんともそういうやり取りができたら面白いかなと思っています。

 

ただし、人を責めたり、何かを攻撃したりということに関しては、一切お答えしません。

「ちょっと人生困っちゃってるな……」とか、「一歩踏み出せないんだけど……」みたいなことに関してはどんどんお答えいたします。

 

色即是空・空即是色というのは、「私が動かしている」が、「私が動かされている」ということに気付くことです。

「私が生きている」が「私が生かされている」になった時に、大きな命の働きを感じられるようになるわけです。

【YouTube】秩父札所十三番慈眼寺・十一番常楽寺/南泉和尚
https://www.youtube.com/c/13banjigenji

【Facebook】秩父札所十三番慈眼寺
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