鏡の中の自分
鏡に映っているのは自分ではありません。
自分が映っていると思っていますが、自分のことではないわけです。
あくまでも「鏡に映った自分」を見ているのです。
しかし、「鏡に映った自分」に向かって、問うことは、できます。
私は、「鏡に映った自分」の姿、もう1人の自分のようなものに対して「しっかりと目を覚ましてください」と問いかけています。
私たちは自分の目で自分のすべてを見ることはできません。
手や足を見ることはできても、自分の背中や自分の頭の上を見ることはできないのです。
『トイ・ストーリー』のキャラクターではありませんが、目を外して見るわけにはいかないわけです。
不思議なものです。自分に一番身近な存在、つまり自分のことを自分では見ることができないのですから。
これはなかなか難しいことです。
ところが、他人は見ることはできるのです。
私は自分の妻の頭の上や背中を見ることができます。
ほかの人もそうではありませんか?
ほかの人のことはすべて見ることができるわけです。
心の中は見れませんけれども、姿かたちを見ることはできます。
しかし、自分の姿かたちを見ることはできません。
なるほど、これはなかなか良くできていて、不思議なものです。
見ることができるから、ほかの人のことがどうしても気になってしまうわけです。
自分のことは見ることができませんから、なかなか自分のことを振り返ることをしません。
しかし、自分の目で見ることができないからこそ、心を静めて深く自分を掘り下げることが必要なのです。
「自分のことを見よう、自分の心の中を見に行こう」という意識が大事なのです。
そんな時に、1つのモデルとして「経験する自分」「物語る自分」というのを頭の中に描くと、分かりやすくなります。