パワハラに悩む全ての人を救う仏様の教え【前編】
このコーナーでは、南泉和尚が皆さんから頂いたお悩みに「仏教の観点から」お答えしていきます。
今回いただいたお悩みは、「上司から強い言葉で批判され、心がズタズタで立ち上がれません。どうしたらよいですか」というものです。
さて、アナタならどうしますか?
この記事が、今まさに真剣に悩んでいるアナタの気持ちに少しでも寄り添えますように。
仏教には「無常」という言葉がある
仏様の教えには「全てのものは移ろいゆくものである」というのがあります。つまり、常にとどまることは何もないんだということです。これを「無常」と言います。
現在の状況が永遠に続くようですが、いつか必ず過ぎ去っていくものです。このまま、あらゆるものがとどまり続けることはないんだということを覚えておくと、グンと気持ちがラクになります。
今、とても辛い状況にあるかもしれません。辛いことや楽しいこと、苦しいことや喜ばしいことも、ずっとそれが同じような状況が続くということはないのです。あらゆるものは移ろい、過ぎ去っていきます。
そのことをまずは頭の中においてみてください。
一度受けたことは捨て去る
ご相談いただいた内容に関して、私もそういう経験があります。昔、ちょっとしたことで、うんと落ち込んでしまいまして、起き上がれないということがあったんですよ。
朝、どうにもならない・・・どうしよう・・・。
そんな時、私はお釈迦様の言葉に頼りました。そしたら、あぁ、そうなんだって気が付いたのです。「彼は私をこう罵った!」って自分の中で思い描いているうちは、苦しみから逃れられないのです。
だから、一度受けたことは捨て去ってください。そして自分自身を責めることなく、また相手も責めることなく、良い悪いで判断せず、そのまま受け止めてください。ずっと降り続く雨はありません。必ずいつか止むんです。あなたの苦しい状況も改善されていきます。自分を信じて心に向き合っていきましょう。
平等に愛する心を持つ
お釈迦様はあらゆるものを等しく平等に愛し続けるという教えを説いています。これは四無量心(しむりょうしん)と呼ばれ、大きく4つの心を大切にしなさいと説いています。
4つの心とは具体的に、「慈・悲・喜・捨」を意味しています。今回特に重要なのが、その中の「捨(しゃ)」なんです。「捨」というのは捨てるという字を書きますが、四無量心とはそもそも、分け隔てなくどのような立場であろうと平等に接する心を持ちなさい、という教えです。
上司から軽んじられて傷つけられたとしても、自分の存在そのものがまるで価値がないんだという風に思う必要はありません。たとえ上司だろうと部下であろうと、みんなが等しく同じように接する「四無量心」の心を持つことが大切です。
あなたの存在そのものが既に尊く平等であり、誰からも愛され、誰からも幸せを祈られる 存在なんだということをぜひ覚えておいてください。
人の心は伝染する
お釈迦様の言葉にこういう言葉があります。「あなた自身が、あなた自身の光となりなさい。」=「自灯明」
他の人があなたを照らすのではありません。あなたの心の中にある「灯火」、ここに気づくことなんです。誰にでも「その灯火」があり、輝かせるのはあなた自身です。そのためには、心を静かにして自分自身とちょっとだけ向き合う・・・そういったことが欠かせません。自分の内側が整うと、心が穏やかになってくるんですよね。穏やかな心になっていくと、それが周りに伝染していくのです。
何も言葉をかけなくても、相手との関係が良好になっていきます。これは、私自身、そういう事例を数多く見てきましたし、私自身も実際に体験しています。自分の心の奥底にある「灯火」を信じて、光り輝くように整えていってください。そうすると必ず周りに良い影響が及んできます。
これが不思議なんですが、ここが分かってくると仏教がもう、楽しくて仕方なくなってきますよ。
あなたから変わる勇気を
前章にて、仏教がわかってくると幸せがやってくるとお伝えしましたが、自分自身に「我執」や「こだわり」があると、幸せを感じる妨げになります。どんなに辛い仕打ちを受けたとしても、相手を無条件に「感謝」で受け止めることで、何より自分自身がラクになります。
何をされても気にならなくなるんですよね。「争わずして争いが収まっちゃう」という状況を生み出すことができるのです。自分を変えることで、実はあなた自身の深い傷も治まっていきます。変えることのできない相手をねじ伏せるのではなく、まずは自分の心から変えてみる、これが最短の解決法だといえるでしょう。
【最後に】南泉和尚から言葉のプレゼント
最後に、私から言葉のプレゼントをいたします。
❝今この瞬間を楽しみましょう。過去や未来を心配する必要はありません。『今、ここ』を意識して生活してみてください。❞
仏教というのは、今ここをどう生きるかということを教えてくれる存在なんです。だから決して、辛く厳しい修行をしなければ分からない教えではないのです。楽しくハッピーに過ごせる教えが、仏教にはぎゅっと詰まっています。今ここに集中できるのは、自分自身である「あなた」しかいません。この瞬間に目を向けて、自分自身が既に幸せに包まれているんだと、ぜひ感じて欲しいです。
小さな幸せを見つける『目』を持つことが、仏様の教えだといえるでしょう。
- あなたのことを心配してくれる友人がいます。
- あなたのことを大切に思ってくれる家族がいます。
- もちろん、私もアナタがずっと幸せであることを祈り続けます。
「みんな幸あれ。」これがお釈迦様の願いです。あなたはすでに十分幸せなんです。その幸せをどこで見つけることができるのか・・・それは、あなたの中にある 「灯火」そのものを見つめなおすことで解決できます。自分自身を認めて励まして、でも・・・頑張らなくてもいいんです。自分を素直に受け止めてあげることが何より大切なのではないでしょうか。
あなたも幸せであるように。みんなが幸せであるように。
みんながハッピーに !
南泉和尚