秩父札所13番慈眼寺【春彼岸会法要】がんばるのをやめる

(法話より引用しています)

語り:南泉和尚

実は去年、ちょっと調子が悪かったんです。

でも調子が悪かったことが、本当に良かったなと今、思ってるんですよね。

やっぱりね、調子が悪かったからこそ気づくことがいっぱいあってね。

それでかえって大きな決断をしたんですよ。

それはね、どういうことかっていうと・・・あ、住職を交代するってことじゃないですよ。

それはもう前々から僕の中で決めていたのでね。

自分の中でこうしようって思ったのは、実はね・・・頑張らないってことを決めたの。

やっぱりこれまで自分の人生振り返ってみると、すごい頑張ろう頑張ろうってやってたんですよね。

頑張ろう頑張ろうってやった結果、調子が悪くなっちゃった。

でもそのおかげで、実は頑張らなくていいんじゃないかなっていう風に気づけたんだけどね。

考えてみると、仏教では頑張るなって言ってるんです。頑張れって言ってないんですよ。

頑張るっていう言葉がどうもこう・・・

みんなを応援するというような風な意味に変わったのは実はそんなに古くないみたいなの。

ひろ・さちやさんっていう仏教思想家で講演をずっとやっていた人がいたんだけど、その人が書いていたんです。

自分が子供の頃は「なんかあの人、がんばってるね」っていうのは、「我を張ってわがままな人のこと」をそういってたんだよね、って。

それがいつのまにかそうじゃなくなって、「頑張ってね=力を発揮してね」っていう風になったんだそうです。

でも本来の「頑張れ」っていうのは「我を張る」んですよ。要するに我利(がり)。

つまり「がんばる」って言葉は良くない意味だったんだよね。

仏教では「我=自分」というのをあんまり出さないで生きていく(自分のわがままな感情を押し通すことをしない)生き方が仏教的なことだから。

そうすると・・・やっぱり、頑張らない生き方っていうのが大事なんじゃないかな。

どうしても「がんばる」となると「競争社会」になっちゃうんですよね。つまり、競争の中で自分が前に出るっていう事なんだけど、お釈迦さんは、そういうのはあんまり勧めてないんですよ。

人と人とが争って勝つよりも、一番大切なのは自分に勝つことだという言葉もあるぐらい、やっぱり他人と比べる、とか、他人をどうする、とかっていうことは、仏教ではあんまり推奨してないんだよね。

自分がどうするかということを言ってて・・・そういうことを考えると、やっぱりその辺のところが自分の中でちょっと腑に落ちたんですよね。

だからこそ私は、「がんばること」をやめることにしたんです。

・・・

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