永代供養墓とは?歴史から現代の形式まで概論解説【南泉和尚】
永代供養と終活の相談ができるお坊さん「南泉和尚」です。
わたしは「みんなの永代供養」というポータル サイトを運営し、お墓のことやお越しのことで悩んでいる方の悩みが解消できればいいなと思って活動をしております。
今回の記事では基本的な永代供養の概要についてお話させていただきます。
この記事の内容は動画でもわかりやすく解説していますので、よければ公式YouTubeチャンネルもご覧ください。
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そもそもお墓とは?
まず、お墓の話をします。お墓は時代とともに変化しています。
ほとんどの方が「お墓」と聞いて思い浮かべるのが「○○家先祖代々の墓」と書かれた墓石かもしれません。
お墓は多くの場合お寺さんに建っており、ここにご先祖様のご遺骨がお祀りされています。
お盆や彼岸になると日頃の感謝をお伝えするため、お墓参りをする方が多いです。
菩提寺・檀家とは?
菩提寺とは、「○○家先祖代々の墓」を祀っているお寺を指します。
菩提寺を持つことは、そのお寺に所属している檀家であることを意味します。
仏教では宗派によって慣習や礼儀作法が異なるだけでなく、葬儀の手順や儀式も異なることがあるので菩提寺はどこなのかを知ることはとても大切です。
「○○家先祖代々の墓」っていつからあった?
皆さんがイメージする「お墓」は一体いつ頃からあったのかご存じでしょうか。
実はそんなに古くはなく、所説ありますが明治時代からであったと言われています。
江戸時代には「性」がなかったのです。ではいつから始まったのでしょうか。
答えは、明治時代~でした。江戸時代以前と明治時代以降では、お墓の考え方が明らかに違うのです。
江戸時代から明治時代になって、家長制度というものが制定され、家単位でのお墓が作られるようになりました。
※檀家制度は江戸時代からあります。
この家父長制度は「長男が家督を継ぐ」ということが大前提だったので、まるまる家のお墓は長男が継ぐっていう印象を持っている日本人は今でも多くいるかと思います。
なぜお墓ができたのか?
墓石(四角い形の石)が一般家庭で復旧したのは元禄(江戸時代の1688年~1704年頃)からです。
元禄以前はそもそも経済的な理由もあってお墓を持つことができませんでした。
当時は土葬が一般的でしたが、埋葬した後に再び蘇って欲しくないと考えた人々が埋葬した場所に「石」を乗せたのが墓石のはじまりだと言われています。
昔は両墓制といって、当時なかなかお参りに行けなかった人々が家の近くに「お参り用の石」を建てていました。
つまり埋葬した場所と家の近くに墓石を置き、お参り用にするお墓の2つを所持していたのです。
しかし、明治時代になって「姓」が付き、家単位での「お墓」が必要になりました。
そこで困った人々はお寺に相談に行くのです。
そうしたところから「檀家」の数も増えていったという背景があります。
永代使用料(お布施)の本当の意味
お寺のお墓っていうのは、檀家さんから「この墓地を使いたいんです」って具合にお寺に『永代使用料(お布施)』を支払っていただくのです。
ここで勘違いしている方も多いのですが、永代使用料は「その場所の土地を購入」したのではありません。
墓域の土地を購入したというわけではないのです。
ここで与えられている権利はあくまで「使用権」であり、土地を購入したことにはならないので注意しましょう。
永代使用の許可をされたお寺の土地に墓石を建てて「お墓」として利用するわけで、どこまで行っても「使用権」なのです。
ここで、お墓をいつまで使用できるのか、気になる方も多いかと思いますが、結論は「継承者がいる限り」使用することができます。
「家」というのが基本単位なので、家を守る人がこのお墓を守るのです。
継承者がいないお墓はどうなる?
お墓を守る人がいなくなった時にお墓がどうなるのか、不安を抱えている方も多いです。
結論からお伝えすると、お墓は「無縁墓」となります。
昭和40~60年くらいの間で、家族の形態は大きく変わりました。
意識が「家系」→「個人」へと大きく変わり、それによって家族の形態も変化していきます。
昭和60年くらいからは家を守る人がいなくなるケースも増え、結果お墓を守る人もいないわけなので「無縁墓」として放置されるケースが見られるようになりました。
自分の父親や母親は「社会が守る」という形態に変化しています。
それが介護保険につながってくるのです。
しかし、そうなると誰も墓参りしない「無縁墓」がずっと残りお寺も親族も困ってしまう・・・。
その悩みを解決する方法として考案されたのが「永代供養墓」なのです。
永代供養墓とは
永代供養墓の元祖は1980年代の比叡山だったそうです。
永代供養墓が出始めたのは、昭和から平成に変わる頃だと言われています。
永代供養墓が作られる前は誰もお参りに来ないお墓をお寺が供養して更地にするためには、3大新聞に広告を乗せる必要がありました。
当時の金額で800万から1000万くらいかかったそうです。
なおかつ更地にする1年前に札を立てて、この墓地に関係のある方は連絡くださいと注意書きをする必要があり、そうしないと無縁墓を更地に戻すことができませんでした。
そんな「無縁墓」の扱いを大きく変えたのが「墓埋法」の改正です。
法改正によって新聞に広告を掲載しなくても「官報」に掲載するだけで良いというルールに変わりました。
これによって1,000万円程かかっていた費用が10万円以下で済むようになったのです。
これが永代供養墓が広く普及していったきっかけでもあります。
家族形態の変化で家のお墓が守りにくくなったのもありますが、それだけでなく以下のような要因も大きな理由のひとつです。
- 晩婚化
- 未婚化
- 人口減少
- 親世代と子世代の生活圏が違う
「家」から「個」への意識が大きく変わってきた昨今、「○○家の墓」ではなく、様々な形態の方々が供養できる「永代供養墓」というお墓の形が広く普及しているのです。
永代供養墓の種類
永代供養墓には、2つの種類があります。
- 家族や親しい人とは別に埋葬されて一定期間が経過した後に合祀されるタイプ
- 最初から他の方々と一緒に合祀されるタイプ
どちらも最終的には合祀されるという点では同じですが、個別に入るか最初から他の人と一緒に合祀されるかという違いがあります。
檀家は年間の維持費やお寺の付き合いが発生しがちですが、永代供養墓であれば永代供養料を一度納めてしまえば維持費や管理費がかからないケースが多い特徴があります。
※一部例外もあります。
永代供養墓の詳しい情報は「みんなの永代供養」というメディアにて掲載していますので、気になる方はご覧になってみてください。
これからの永代供養墓の姿
今、この永代供養墓もまた、最初の頃とは違う形にどんどん変化しています。
たとえば、
- お一人様用のお墓
- 家族と一緒に入れるお墓
- 樹木葬
- お墓を建てないで花に囲まれている霊園
といったものが挙げられます。
墓埋法の改正以来30年あまりで、たくさんの永代供養墓が作られています。
その背景には社会の変化や墓の守り方、家族の在り方の変化などが関係しており、ある意味「必然的」に永代供養墓が誕生したといっても良いでしょう。
永代供養墓【まとめ】
今回は永代供養の概要をお伝えしました。
昨今の社会的な変化によって「家」から「個」の時代となり、それに伴ってお墓の守り方が変わってきたことが永代供養墓が広く普及した要因だと言えます。
こういった供養のことや墓のこと、または亡くなった後の供養に関することを相談できる相手がいなくて困っている方はたくさんいらっしゃいます。
そんな方々にとって、私の話が少しでもお役に立てれば嬉しいです。
今度は、具体的な内容や疑問点について、一つひとつ細かくお話をさせていただきます。
それでは、本日は以上となりました。
どうぞよろしゅう。
南泉和尚