私の中の2人の自分
私たちは自分自身に振り回されます。
自分自身というのは「こうありたい自分」でもあり、「こうあらねばならない自分」でもあります。
私も子どものころは、周りから「お前はお坊さんになるんだ、慈眼寺の住職になるんだ」言われてきました。
つまりそれが、みんなが望んでる私の姿だったわけです。
ところが、私自身は「いや違う!俺がなりたいのはそうじゃないんだ」と、17〜18歳ぐらいまで大暴れしていました。
「こうありたい自分」と「こうあらねばならない自分」がうまく結び付かないと、ドカーンと落ち込んでしまいます。
それで私は大学1年生のころ、大学には7日間しか行かないで、ずっと引きこもって映画ばかりを見ていました。
「物語る自分」と「経験する自分」がうまく噛み合わず、どうしていいか分からなかったわけです。
自己というのは自分のこと、つまり「セルフ」ということです。
要するに私は「本当の自分って何だろう?本当の自己って何だろう?」と悩んでいたわけです。
自分の中に相容れない2つの自分がいて、これがまた複雑に絡み合っているのですが、このことが分かっていれば、当時の私はもう少し楽だったかもしれません。
「今は物語る自分が苦しんでるんだな。じゃあ少し休もう。休んでもいいんだよ」という気持ちになれれば良いのですが、そこで人は抗ってしまいます。
抵抗しきれない何かに「俺はどうすればいいんだ?」と抗って、ますます落ち込んでいくわけです。
しかし、そういうことはあまり気にしなくてもいいということがだんだん分かってきたのです。