秩父札所十三番住職 南泉和尚

南泉和尚のブログ

渋沢栄一と青い目の人形

2021年10月14日

ついに、渋沢栄一さんが肖像になった1万円札の流通が始まりそうです。

渋沢栄一さんといえば、埼玉県の偉人として、また日本中にたくさんの企業がありますけれども、その礎を築いた実業家として有名です。

 

そして、ここ秩父にもすごく関連しています。

まず、お蚕はいとこの尾高さんという人がいろいろと尽力をして、児玉地方から埼玉県の北部、例えば秩父もそうですが、お蚕をたくさん作って、それを産業のために使おうということで広めたわけです。

慈眼寺の御堂は明治11年に焼けて、明治33年に完成するのですけれども、壁の一部にはお蚕が使われています。

 

当時の住職は、火事になって「どうしよう、お金がない。よし、お蚕を飼おう」と思い立ち、このお寺の2階に広い場所があったので、そこでお蚕を飼いました。

そして、そのお蚕を販売したお金の一部が使われて、この御堂ができたのです。

秩父でできたお蚕を横浜まで届けてくれる道筋を造った人も、お檀家さんでございます。

当時の秩父の産業で、資金を生み出す最も近道だった養蚕によって、彫物の非常に優れた慈眼寺の御堂ができたわけです。

これもよく考えてみると、渋沢栄一さんとの関係なのです。

 

そして渋沢栄一さんは、教育や日米親善にも力を費やしました。

それが「青い目の人形」です。

実はその当時、日米関係が良くありませんでした。

「このままだとおかしくなっちゃう。これは何とかしなきゃいけない」

「よし、じゃあ民間で交流をしよう」

「じゃあアメリカから青い目の人形を送ってください。それを日本の多くの子どもたちに渡します」

と、当時交流があったアメリカのギューリック博士という牧師さんに頼んだわけです。

その受け皿になったのが渋沢栄一です。

 

そして今度は、渋沢栄一が「じゃあアメリカの子どもたちに日本の人形を送りましょう」と「答礼人形」を送る、そういう人形による交流をしたのです

それで青い目の人形が日本にやってきました。

 

全国で2万体あったと言われていますけれども、そのうち埼玉県に確か20体ぐらい残っています。

実は全国で2万体あった人形は、今ほとんどありません。

戦争の時にみんな燃やしてしまったからです。

ところが、ここ秩父にはいくつも残っていて、その1つが、私の祖父が開いた秩父幼稚園にあります。

 

秩父幼稚園が保存している青い目の人形は、「ヘレンさん」と言うのですけれども、このヘレンさんは貴重な資料となっています。

まず、ギューリック博士の写真がありますが、それがあるのはここだけなのです。

そしてヘレンさんは着せ替え人形なのですが、当時の服をそのまま着ていて、着せ替え用の服も残っています。

さらに、パスポートとチケットまで残っているのです。

そういった周辺の資料は、もうほとんどありません。

 

なぜ残ったと思いますか?

実は、皆さんがよくお参りしていただく御堂、あの観音様の横にお祀りされていたのです。

戦争時代、その当時の住職、つまり私の祖父が「アメリカが何とかではなく、これは大事なものだ」と言って飾っておいたそうです。

そして誰も敵対意識を持つことなく、そのまま残ったわけです。

 

戦後になりますと、昭和22年に私の父親と母親が結婚して、翌昭和23年に長女が生まれます。

その長女が、何とこの青い目の人形で遊んでいたというのですから、とんでもないことです。

もしかしたら貴重な文化的遺産になる、青い目の人形で子どものころは遊んでいたというわけです。

そういういろいろな縁で、実は渋沢栄一さんと慈眼寺、そして青い目の人形がつながっているのです。

慈眼寺の御堂のおかげで、青い目の人形も残っていたのです。

 

今年は埼玉県の博物館で埼玉県中の青い目の人形がお祀りされていまして、先般帰ってまいりました。

渋沢栄一さんにはいろいろな業績がありますが、そのうちの1つとして、こういう草の根的な交流にも大きな力を発揮していただいたことがあります。

それがいまだに残って続いているというところが素晴らしいわけです。

埼玉県にはたくさんの優れた方々がおりますが、その中でも代表的なのが渋沢栄一さんです。

これからも1万円札の肖像になって、多くの方にその業績が届くことでしょう。

 

皆さんも、いろいろな人との縁をぜひ大切にしてください。