秩父札所十三番住職 南泉和尚

南泉和尚のブログ

木魚はどうして魚なの?

2022年7月22日

慈眼寺は目のお寺なので、目が悪い人がお参りに来られることが多いのです。

先日も、目の悪い方々と支援する団体の方々が都内から来られました。

弱視の方もいらっしゃいましたし、全く目が見えない方もいらっしゃいました。

 

少しお話をして、お経を唱えてお焼香してもらったのですが、終わった後に皆さんが鳴らしものを触ってこられたのです。

「ああ、こんなに大きいんだ」と触っていたのですが、私はそれはすごく大事なことだなと感じました。

 

ほとんどのお寺さんでは「鳴らしものに触らないでください」と書いてあります。

しかし、このように触る機会があってもいいのかもしれません。

今回はそんな「鳴らしもの」の中から木魚のお話をします。

 

ご存知の通り、木魚は魚の形をしています。

なぜ魚の形なのかというと、魚は目を閉じて眠らないというところからきているのです。

つまり、お経をあげている時に眠らないように、また、寝る間も惜しんで修行するようにというような戒めが込められているのです。

 

曹洞宗大本山總持寺では、大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)の「真読」という読み方があります。

これはとてもゆっくりとした読み方なのですが、「大真読」となると、さらにゆっくりとなります。

すると、段々と睡魔が襲ってくるわけです。

 

修行に少し慣れた半年から1年ぐらいというのは、往々にして気が緩んできます。

こうなると、本来の木魚の意味を忘れてしまい、睡魔と戦うのが厳しくなるのです。

眠らないようにたたく木魚によって眠りに誘われてしまいます。

 

お釈迦様の時代にも戒めがあって、律があって、集団の決まりがありました。

不殺生戒(ふせっしょうかい)、アヒンサー、「生き物を殺さないように」とか、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、「ものを盗まないように」という戒めができたのは、それをする人がいたからです。

同じように木魚も、眠っている方がいたから、その戒めとしてたたくようになったのだと思います。

 

こういうことを言うと、またお坊さんに怒られそうですけれども、木魚は一定のリズムを刻みます。

そうすると、それに合わせて脳波がだんだん落ち着いてくるのです。

そして、深い瞑想までいかないけれども、心が落ち着いた状態になっていきます。

それは脳にとって大事なことで、自然に心も体も落ち着いてくるわけです。

 

お経というのは一息で結構長く声を出しますが、それが健康には良いそうです。

私が本山から帰ってきたころの話ですが、職業別の平均寿命のデータがありまして、お坊さんが断トツで長かったのです。

 

今の大本山總持寺の禅師さまは85歳ですが、お元気です。

かつての永平寺の宮崎禅師さまも、100歳を超えても元気でした。

やはり呼吸をゆっくりする、ゆっくり声を吐き出すということは、そういったところにも通じているのかなと思います。

 

ちなみに、木魚は上から下にたたくのではありません。

そうやって強くたたくと割れてしまうことがあります。

ですから、ゆっくり下から上に持ち上げるようにたたいてください。

 

最上の札所は誰でも木魚をたたけるようになっていますし、秩父の札所12番さんには皆さんが座る場所があって、そこにも木魚がありますから、ぜひ叩きながらお経を唱えてみてください。

ただし、ほとんどのお寺さんでは勝手にたたくことはできませんので、そこはご注意ください。