仏教で「諦める」とは?

私たちは普段、「最後まで諦めちゃいけない」とよく言うではないですか。

ところが、仏教では「諦めろ」と言うのです。

これはどういうことでしょうか?途中で投げ出してもいいのでしょうか?

 

そういうことではありません。

仏教では「諦」をサティアと読みます。

「真理」、つまり「物事の真実を明らかにする」という意味なのです。

 

自分の人生の課題を明らかにする、これを「諦める」と言うのです。

「諦めちゃいけない」ではなく、「諦めろ」なのです。

私の人生がこれからどうなっていくのか、この真実を確かなものにしていくということが、仏教で言う「諦める」です。

 

道元禅師の言葉に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」というものがあります。

私たちは、見ているものがすべてだと思っていますけれども、ほとんど自分のフィルターでしかものを見ていませんから、本当のことが分かりません。

 

そういったフィルターを外して物事を明らかにし、自分の人生がどこに向かっていくのか、悩みや不安はあるけれども、それでも今日1日をしっかりと生きていく、そういう意味を「諦める」という言葉が持っているのだということを頭に入れておきましょう。

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