秩父札所十三番住職 南泉和尚

南泉和尚のブログ

戒(かい)と習慣

2022年4月11日

私はよく「毎日同じ時間に同じことをしましょう」と言っています。

しかし、正直に言うと私も昔は「そんなことはないだろう。毎日違っていなきゃ面白くないじゃん」と思っていたのです。

ところが、これを大きく覆された経験がありました。

 

慈眼寺が中心になってできた秩父幼稚園が、今は秩父こども園として、新しい制度のうえで運営されています。

もう10年以上前、「ヨコミネ式」という教育保育を実践している横峯吉文氏先生が、鹿児島の志布志という所で保育園もなさっていて、そこに初めて行った時のことなのですが、驚きました。

 

幼稚園でも小学校でも、例えば月曜日は絵を描いて、火曜日は音楽をやってと、日によってテーマやカリキュラムを変えるではありませんか。

ところが、そこへ行ったら毎日同じ時間に同じことをやっているのです。

朝になると、とにかくみんな走っているのです。

それから年齢ごとに1日の流れが決まっていて、毎日同じことをやっています。

 

それまでの教育保育の考え方、または私の体験からすると「それはいかがなものかな」と思ったわけです。

しかし、毎日同じ時間に同じことをするというのはどういうことかというと、これはつまり習慣なのです。

習慣になってしまうと、人間はその行動そのものをあまり考えたり意識することなく、自然と動けるようになります。

 

これには2つのポイントがあります。

特に教育保育の場合、毎日同じ時間に同じことをやるのだけれども、昨日より少しだけ難しいことをやります。

これが大事なのですが、昨日よりうんと難しくなってしまうとダメなのです。

人間というのは、今の自分のレベルとかけ離れたところを見せられた瞬間に「ああ、もう分かんない。やめた」と脳が反応してしまいます。

しかし、少しだけ難しいと挑戦したくなるのです。

 

毎日同じ時間に同じことをするということが喜びにつながっていくと、脳がどんどん活性化されていきます。

それで、その子どもたちの生活を秩父こども園にも取り入れてみたら、ふと「あれ?これは自分も経験していたな」と気が付いたのです。

 

それが本山での生活だったのです

本山の生活というのは、基本的に毎日同じことを同じ時間にやっていました。

朝起きて、トイレに行って、顔を洗って、坐禅して、御袈裟を着けて、本堂に行って朝のお勤めが終わるとまた戻ってきて廊下を掃いて、食事をして、廊下を掃いてと、毎日同じなのです。

 

それに慣れるのに、大体3ヶ月かかります。

最初のころは慣れないので「ああ、どうしよう、こうしよう」と周りを見ながらおろおろしています。

それで間違えると「おい、この野郎」みたいなことを言われるわけです。

そうやって3ヶ月ぐらい経つとリズムができて、何にも意識せずに行動できるようになります。

そうすると、だんだんゆとりが生まれてきますから、そういった中で、みんな少しずつ工夫をしているわけです。

私の中では、毎日同じ時間に同じことをするという生活の基本は、大本山總持寺の生活そのものだったのです。

 

しかし、今度はそれを自分の生活の中で実践していこうと思った時に、これがかなり難しいわけです。

毎日同じ時間に同じことをするということができず、同じことにならないのです。

同じ時間は少し守れるかもしれないけれども、ややもすると前の日の都合で朝起きられないこともあります。

毎日同じように6時に鐘を突いているけれども、同じ鐘の音ではありません。

毎日同じように顔を洗って、歯を磨いて、顔を鏡で見ているけれども、その顔は毎日同じではありません。

同じ時間にやっているからこそ、それに気が付くわけです。

 

時々、朝にショートムービーを上げていますけれども、日々変わってくるのがよく分かります。

毎日同じことを同じ時間にやっていると、毎日違いがあります。

つまり、毎日同じ時間に同じことをするということは、実はできないのです。

毎日同じ時間に同じことをしているからこそ、そのことに気が付くのです。

 

ここが結構大切で、この習慣付けというのが、実は仏教で言う戒(かい)なのです。

「戒律」の「戒」なのですが、「戒」と「律」は別のもので、「戒」というのは習慣のことになります。

「私はお釈迦様から教えていただいたことを守ります」というのが「戒」です。

 

一方、「律」というのは集団のルールです。

例えば「この時間に食事しましょう」とか「ごみは私が捨てますね」というのは、習慣ではなくルールです。

2人以上集まれば集団ですから、家族にも必ず律があります。

 

律には罰がありますが、戒には罰がありません。

戒というのは「私は仏様から授かった習慣を持って生活します」というもので、不殺生戒(ふせっしょうかい)、「アヒンサー」とも言いますが、「生き物の命を殺しません」というものが一番有名な最初の戒です。

これは集団のルールではないので、自分が守ろうが破ろうが関係のない、自分自身の問題です。

 

戒というのは、自らその習慣を行って、どうやって1日を生活していくかという道しるべになります。

先ほども言った通り、毎日同じ時間に同じことをするということは、日々変わってくるからできないのだけれども、そこに意識付けをして、「毎日このような生活を守っていきます」と自分に働きかけて自分が行動していくのです。

 

しかし、それを自分以外の誰も見ていないから、罰する人はいません。

では、どうやってそこを守っていくのかというと、習慣化してしまえば体が勝手に動いていくのです。

そういうことが大事なのです。

 

横峯先生から、毎日同じ時間に同じことをやっていくということを学びました。

そして子どもたちの姿を見て「これは本山もそうだったな、じゃあ自分もできるのかな」とやってみたら、これが難しくてできないわけです。

 

日々の生活そのものが、実は大切なのです。

そうすると、朝起きてそれができた時は、「お、今日は良い日だ」となります。

それ以降は、毎日同じというわけにはいきません。

思いもよらない電話がかかってきたりもします。

そして夕方になってくると、7時に夕飯を食べて、8時にお風呂に入って、9時には寝るみたいな、同じことがまたできるようになります。

 

毎日同じ時間に同じことをするということは、実は仏教で言う「戒」、つまり自分自身をしっかりと習慣付けるということであります。