明珠在掌(みょうじゅざいしょう)

明珠在掌(みょうじゅざいしょう)という言葉があります

明珠とは仏性をいいます

仏性とは、だれもが生まれながらに持っている仏の心です

仏性は、外にあるのではなく

手のひらにすでにあるのだということを

この言葉は言っています

宝物を探しに外ばかりに目を向けてしまいます

ですが、すでに誰もが持っているのです

自分が持っている宝物に気づいて

磨いていくことが大切なのだけれど

どうしても外に目が向いてしまいます

禅の教えを説いた「碧巌録」に納められています

足もとを見つめる

外に、ばかり目が行き、自分の足元を観ないことがあります。

問題の解決策は、自分が持っているのにも関わらず、

外ばかり眼が生き、遠回りしてしまいます。

まずは、自分をしっかり見つめる。

足元を照らし続けることです。

脚下を照顧せよ。

長野県円福寺のご住職で「おっしゃん」と呼ばれ親しまれていたお坊様がいらっしゃいました。

藤本幸邦老師です。

難しいことを解かりやすくお伝えくださる方です。

脚下照顧を解かりやすくした詩を残してくださいました。

「はきものをそろえる。

はきものをそろえると心もそろう。

心がそろうとはきものもそろう。

ぬぐときに、そろえておくとはくときに、心がみだれない。

だれかが、みだしておいたら、だまって、そろえておいてあげよう。

そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう」

拈華微笑

禅の言葉に

「拈華微笑(ねんげみしょう)」

という言葉があります。

ブッダが、法を説くため、

弟子たちを霊鷲山に集めました。

ブッダは、一輪の花を持ってただ立っていました。

何も語りません。

弟子たちは、何だ?どうしたんだ?と

顔を見合わせています。

一人マカ・カショウだけは、

そっと微笑み返しました。

それを確認したブッダは、言いました。

「私が悟った真実の教えは、今、マカカショウに伝わった。」

マカカショウは、こうしてブッダの高弟となったのです。

ブッダは、何も語らずに

もっとも大切なことをマカカショウに伝えたのです。

大切なことは、語らなくても伝わることがあります。

受け止めることができる人になりたいものです。

放てば手にみてり

「放てば手にみてり」

 

道元禅師もお示しになっています。

過去にしがみついていると手でつかむ事ができません。

自らのステージが変わるときは、

まず、手放すことです。

 

手放してしまえば、天地一杯の宇宙に満たされます。

脚下を照顧せよ

脚下を照顧せよ。

有名な禅の言葉です。

脚下照顧といいます。

足元を整えることをいいます。

具体的には、履物をそろえることです。

しかし、もっと深く自分自信を照らすことでもあります。

宝物のありかと遠くの山に見つけに行ってしまいますが、本当の宝物は、自分自身の足元にあるものです。

 

宝物という幸せの種は自分の足元にあるのです。

欣求の志

欣求の志の切なるべきあり

 

たとえば、重き宝を盗まんと思い

強き敵をうたんと思い

高き色にあわんと思うこころのある人は

ことにふれ、おりにしたがって

種々のことは、かわり来たるとも

こころにかけてあれば

あながちそれを

とげずということなかりけり

 

「正法眼蔵随聞記」

 

 

 

道元禅師も示されています。

まずは、志だと。

ただの志ではなく、

欣求の志だと。

 

寝ても覚めても志を思い続けることができれば

その志は、必ず遂げることができるとお示しになっています。

 

 

欣求の志