秩父札所十三番住職 南泉和尚

南泉和尚のブログ

あなたも菩薩

2021年11月7日

慈眼寺では、秩父こども園の子どもたちが月に一度お参りに来て、観音堂で園長先生のお話を聞く会というのをやっております。

 

ある葬儀でお勤めしていたところ、隣の保育園から子どもの声が聞こえてきました。

そして、こちらではお年を召した方のお見送りをしているわけです。

やはり人生は、小さな子どもからお年寄りまで、たくさんの人がいろいろな意味で重なり合って成り立っているんだなということをすごく感じました。

 

今回は「仏教とは何か」というテーマですが、これはみんな捉え方が違います。

お通夜、葬儀、法事の導師をするのがお寺さんの役目だと思っているかもしれませんが、それはごく一部です。

そもそも仏教とは何かということについて、あまり知られていないのではないか、逆に言うと私たちも知らせていないのではないかという思いがあります。

 

仏教というのは「仏の教え」と書きますが、つまりお釈迦様が仏陀になって、その仏陀の教えということになります。

もう1つは、仏陀が説いた教えということです。

そしてもう1つ、これが大切ではないかなと思っているのが「仏になる教え」ということです。

 

「ちょっと待ってください。私は仏になるなんてことは考えたこともないよ」という方がほとんどでしょう。

しかし、「仏になりたい」「仏になるんだ」と志を立てて、思いを立てて行動を起こせば、これはすでに仏になる教えを実行していることになるわけです。

これを「菩薩」と言うわけです。

 

そして、仏陀の教えが完成された人が如来ですが、そこに向かって努力していく人、これが菩薩、すなわちボーディ・サットヴァです。

つまり、仏というのは何だか分からないけど、仏の状態というのは何だか分からないけど、仏になろうとして動き出した、そういう教えを実践している人は菩薩なのです。

ですから、みんな菩薩になれるのです。

子どもであってもお年寄りであっても「私は仏になりたい」「仏って何だか分かんないけど、よし動き出そう」と、行動して、実践して、悩んで、動いている人、これが菩薩というわけです。

 

そうすると、仏教というのは実は仏になるための教えであって、それが決して難しいことではありません。

どなたでもそうなれる、つまり慈眼寺にお参りしている子どもたちは仏になろうとしているわけです。

分からなくても、仏になる教えを実践している、これが菩薩なのです。

ですから、みんな仏なのです。

 

ここで大事なのは、最初から分かっている人はいないということです。

お釈迦様を考えてみてください、36歳になって初めて分かったわけです。

29歳までは出家しないで王宮の中で過ごしていて、結婚するまでは酒池肉林、欲だらけの大変な生活をしていたのです。

つまり、われわれと変わらないわけです。

しかし、「これではいかん」ということで一念発起して、一歩踏み出して、そして最終的にはドカンと身心脱落して、あらゆる宇宙の教えを体の中に受け止めることができるようになったのです。

 

われわれも迷い、悩み、苦しんでいるわけで、「こういう生活を営んでいるからダメなんだ」という話ではありません。

みんな、本来仏なのです。