鐘の音が伝わる

鐘をつく。

ただ鐘をつく。

誰かが聞いているからではなく

お寺に鐘があるからではなく

鐘をつかなければならないからではなく

住職としての務めだからではなく

 

ただ、鐘をつきたいからつく

朝6時に鐘をつく

 

自分の為でも

他人のためでもなく

つけた時

天地いっぱいに

 

鐘の音が伝わる

行持

やりたいことが、沢山あるから、毎日の行持をしっかりと詰めることが大事だと最近強く感じる

あたり前に毎日勤めることを当たり前に勤めたい

足下をしっかり見つめたい

その上で、遠いビジョンを目指して歩みを一歩一歩進んでいく

 

寝る時間を惜しむことはしないで、ビジョンを達成したい。

何かを犠牲にすることなくビジョンを達成したい

 

一日一日を理想の状態で過ごすことに挑戦し続けたい。

 

 

朝、起きて顔を洗うことが、ビジョンと一直線につながっている。

トイレに行くことも、食事をいただくことも。

寝ることもお風呂に入ることも。

全ての行いが、ビジョン達成に欠かせないこと。

 

 

自分の考え、ことば、行動、全人格がビジョンと一直線につながっている。

そんな生き方がしたい。

 

そして、その生活を心から楽しんでいる。

決して義務感ではない。

楽しむ、ワクワクして生活する。

毎日が、楽しくて仕方ない。

 

ありとあらゆること全てが、私を成長させてくれると感じられる。

 

顔を洗うと言うこと、そのものの行為が変わる。

はたから見ると全く同じ行為だが、中身が全く異なる。

顔を洗うことも人格の完成を目指す行い。

目指す所と行動が一致した時、生活そのものが「行」になる。

 

修行道場にいるから「行」が、勤まるのではない。

修行道場を離れ、日常生活を送っている中でも、どこにいようと、全ての行動が「行」になるはずだ。

 

道場には、指導者と仲間がいるから、ある意味、他社依存の「行」だ。

 

道場を離れると指導者も仲間もいない。自分で決めることができる。

鐘をつくのもつかないのも、自分で決めればいい。

朝のお勤めも自分で決めればいい。

誰も文句を言わない。

 

忙しいから、時間がないから、弟子がやるから・・・

と言い訳をして、自分に言い聞かせている。

やらなくてもいい理由を自分に言っている。

 

ビジョンと生活が一致すると、全ての行動が「行」になる。

 

 

ビジョンが大きければ大きいほど、毎日の小さな事を怠ってはいけない

と、そんな心境になった。

 

住職としてお坊さんとしての当たり前の務めを毎日「行」ずるからこそ、

ビジョンが達成され、理想の人格の完成に近づくのだろうと

ぼんやり感じている

 

 

毎日の当たり前の生活を「行」ずることを意識して取り組みたい。

 

当願衆生

目が覚めたら

目が覚めたら

寝てなんかいられない

 

脳がすっかり休まったら

今日という一日を

しっかり生きよう

愚痴

人は、意識しないでいると、つい愚痴を言ってしまうようだ。つまり、愚痴を言う人は、ある意味、当たり前なんでしょう。

 

しかし、2500年前釈尊は、愚痴を三毒の一つだとして、慎むようにお示しになられた。究極の幸せにたどりつけないと教えて下さっている。

 

でも、人は愚痴が好きだ。似たもの同士が集まって、誰かのちょっとした不幸を語り合うのが好きだ。愚痴の言い合いを楽しんでいる。意識せずに。

 

人は、意識していないとネガティブな思いに支配されてしまう。ネガティブな思いが愚痴を生む。そして、愚痴は、ネガティブな結果を生む。

 

ネガティブな思いは、体のバランスも崩してしまう。心が崩れると体に表れる。

 

だから、意識することが大事だ。意識してポジティブに生きる。ポジティブに受け止める。

 

一切行苦。全てのことは、苦であると釈尊は、言い切った。苦であると。この苦である一切をありのままに、プラスに受け止めることができるようにするのが、仏教なんだろうと私は、思う。

 

必ず問題や課題は起こる。生まれること、老いること、病むこと、死ぬことは、誰にも思い通りにならない。

思い通りにならないからこそ、学ぶことが出来る、気づきが生まれる。

 

一切行苦だからこそ、感謝することができる。

 

そうか、一切行苦じゃなきゃ、ダメなんだ。一切行苦だからこそ、涅槃寂静にたどり着くことができるだな。

 

みんなが、はっぴーになるためには、苦が必要。苦だからこそ、これをネガティブに受け止めることもできるし、ポジティブに受け止めることもできる。それは、本人次第。自分自身で決めることができるんだ。

 

一切行苦をポジティブに受け止めると涅槃寂静に近づく。ネガティブだと一切行苦のまま。

 

愚痴を言っていたら、一切行苦のまま。

 

ポジティブに生きると決めれば、愚痴は、勝手に出なくなる。

たった一人の非常識な行動が、世界を変えることがある

ある朝男は、家を出た。

愛する妻とこどもを残したまま。

男は、自分のやりたいことをやるために、家を捨てたのである。

 

とても非常識だ。

 

しかもその男は、長としてその地域を治める予定だった。父親は、その地域の長としてたいへん尊敬を受けていた。その部族は、小さいながらも、幸せに暮らしていた。どの家庭もこの地域で暮らせることを誇りに思っていた。父親も、その男に、継がせるため、あらゆる努力をした。

 

父親は、結婚後なかなか子宝に恵まれなかった。後継ぎはまだか、まだかと待ち焦がれていた中、ようやく授かった男の子だった。

妻は、実家で出産をしようと里帰りをした。その途中、突然産気づき、実家に着く前に、出産した。男の子は、無事に産まれた。

 

その朗報は、直ちに父親に届けられ、地域の者も皆大いに喜んだ。

 

ところが、出産して7日後、妻は帰らぬ人となった。喜びと悲しみが、一気に襲いかかった。地域の者も皆、悲しみの涙を流した。それでも、父親は、長として悲しみを乗り越え、地域の発展に力を尽くしたのである。

 

男の子は、すくすくと成長し、文武両道に励んだ。結婚し、男の子も産まれた。この地域は、これで安泰だと誰もが思っていた。

 

そんな矢先のある朝、男は、一人家を出た。地域を治めることも放り出し、妻子を残したままである。

 

この男をあなたは、どう思うだろう?ある意味、とてもわがままで非常識だと感じたに違いない。

 

この男の名は、ゴータマ・シッダールタ。後のブッダである。

 

ある側面から観ると、ブッダは、非常識な人である。常識を超えた存在なのだ。

 

しかし、この非常識な行動が、多くの人を救い、人類の宝を生んだのだ。

全てを捨てて、家を出るというはじめの一歩を踏み出した勇気、大勇猛心があったればこそ、今こうして、私たちは、心の平安を得ることができるのだ。

 

たった一人の非常識な行動が、世界を変えることがあるのだ。

幸せな人生を送るための三つの宝物

誰もが皆、幸せな人生を送りたいと願っています。夢を叶えたいと。

でも、三つの宝物をもっていないあなたは、幸せになれません。夢を叶えることはできないのです。

 

幸せな人生を送るためには、宝物が三つ必要です。

 

では、三つの宝物とは、何でしょうか?

 

お金?健康?家族?

なんでしょう?

 

 

お金があれば、ないよりはいいですが、お金がなくても、幸せな人はたくさんいます。また、お金があっても、幸せではない人もたくさんいます。

 

病気の人より、健康な方がいいですが、病床にあっても幸せな人は、たくさんいます。

 

家族もいると幸せですが、家族と共に住んでいなくても、幸せな人は、たくさんいます。

 

 

では、三つの宝物は、何でしょう?

 

佛教では、三つの宝物を三宝といって、とても大切にします。三宝とは、佛法僧です。

仏法僧が、三宝だと理解できても、貴方の生活には、関係がないと思ってしまいますよね?そこで、日常性価値にも活かせるように、考えてみました。

 

佛とは、先生です。それも正しく人生を導いてくれる先生です。道元様も、正師が必要だと示しています。正しい師、これが、一つ目の宝です。

 

法は、何でしょう?法律?いいえ、幸せな人生を送るための計画書、設計図です。会社や団体には、事業計画書がありますが、個人で作っているとなるとなかなか少ないように思います。人生の設計図、これが、二つめの宝です。

 

僧は、何でしょう?お坊さん?いいえ、違います。仲間です。同じ志を持つ仲間です。家族も仲間です。仲間、これが、三つ目の宝です。

 

この三つの宝物が、幸せな人生を送るためには、不可欠なのだと私は、気づきました。

 

あなたは、三つの宝物を持たずに、幸せな人生を送りたいと、ただ漠然と思っているだけです。ですから、幸せな人生を送ることは、できないのです。

 

正師(ポジティブティーチャー)、人生の設計図(ブループリント)、仲間(フェロー)を見つけることが、幸せな人生を送るための近道です。

質問と想像

ただ、漫然と考え事をしていても、考えはまとまらないものです。思索の時間として静かな時間を持つことは、大切ですが、ただ、何となく考えることを脳は得意としていないようです。

 

テーマを絞り、自らに問う適切な質問を探ります。この質問によって、導き出される答えが変わるのです。適切な質問を探し出すことがとても大事です。

 

アインシュタインが、ことばを残しています。

「もし人生が残り60分だとしたら、私は、55分を適切な質問を見つけるために使うだろう」

 

 

過去の自分が抱いている常識や経験からの問いでは、新たなアイディアや企画を生み出すこともありません。

 

今まで、考えてこともない、経験したこともない、テーマ、分野について、質問をしてみると脳は、面白い想像をしてくれます。

 

この質問と想像が、人類の歴史を塗り替えてきたのです。

 

鳥は空を飛べる。どうして人は飛べないのだろう?どうしたら、空を飛べるのだろう?と質問をした人がいたのです。そして、空を飛んでいる姿を想像したのです。さらに、実際に動き出した人がいたのです。ついに、人類は、飛行機を発明したのです。

 

はじめは、単純な質問、疑問と想像、そして、できあがった時の様子を妄想したのです。妄想が人類をa進歩させてきたと言えます。

 

好奇心の強い妄想ばかりしている人が、たくさんのアイディアを生み出します。それを形にするのが、得意な人との出会いが、画期的な発明となったのでしょう。

 

新しいアイディアは、今まである物の組み合わせによって生まれます。0から、全く新しい物が生み出されたわけではありません。

 

自分の中のデータベースを常に新鮮に保つことが大切です。

それは、本を読むこと、人と逢うこと、本物と触れること。脳は、一気に活性化します。

 

 

自分への質問が、未来を創造するのです。

なぜ、カメはウサギに勝ったのか?

ウサギのカメの話は有名です。

子どもからお年寄りまで、ほとんどの人が知っているお話です。

 

足が速いウサギと足の遅いカメが、山の頂上を目指して競争します。カメの足が遅いのを知っているウサギは、木陰で休んでしまいます。その横をカメは、ノロノロしながらも追いつき、追い抜いてしまいます。そして、カメのゴール直前に目を覚ましたウサギは、必死に追いかけますが、カメが先にゴールしてしまうと言うお話です。

 

なぜ、カメが勝ったのでしょう?

 

ウサギが休んでしまったからです。

 

その通り!!

 

 

でも、その見方を変えたお話を三遊亭歌之介師匠は、お話ししています。

 

カメは何を見ていたのでしょうか?

ウサギは何を見ていたのでしょうか?

 

ウサギが見ていたのは、カメなんです。カメを比べて足が速いから、スタートダッシュし、カメより早くゴール前まで来ていたから、休んでしまうのです。カメを見ていたので、休むことが出来たのです。自分より早い馬だったら休まなかったでしょう。

 

カメは何を見ていたのでしょう。

カメが見ていたのは、ゴールです。ウサギの様子など気にせず、ただひたすら、ゴールを見て、ゴールを目指していたのです。それ故、休むことなく勝利したのです。

 

目標が明確だったので、カメが先にゴールしたのです。

 

ここに目標を明確に持っている人と明確な目標のない人の違いが浮き彫りになります。

 

 

私たちも同じです。

 

 

目標のない毎日と明確な目標のある毎日では、同じ時間でも過ごし方が全く異なるのです。、

目標を持つ、しかも明確な目標を持つことが、豊かな人生を送るために必要です。

 

 

目標のある一日と目標のない一日

 

目標のない人生は、課題が困難になってしまいます。課題は、避けたいものであり、面倒なものでしかありません。

 

目標のある人生は、課題はチャンスになってしまいます。課題は挑みたくなるものであり、克服した後は、成長と感動が待っています。

 

 

先ず大切なのは、人生の目標を持つこと、見つけることです。

自分のことが最も分からないのが、自分

自分のことが最も分からないのが、自分です

 

 

自分の背中を自分で見ることができません。

でも、自分以外の人は、私の背中を見ることができます。

 

 

自分の顔を自分で直接見ることができません。

鏡に写った姿しか見ることができないのです。

でも、自分以外の人は、私の顔を見ることができます。

 

 

自分の声も自分で直接聞くことができません。

外で鳴っている音と骨を伝わって鳴っている音が合わさった音を聞いています。

録音した声を聞くと、違和感があります。

でも、自分以外の人は,自分の声を聞くことができます。

 

 

そう考えてみると

自分の目も耳も鼻も舌も体も心も

自分では、直接見ることができないことに気づきます。

 

自分以外の人は、見ることができるのです。

 

 

だから、自分のことが知りたければ

他の人から教えてもらうことが必要なのです。

 

人によって感じ方が違うから

伝わってくることが異なります

するとますます自分のことが分からなくなってくることもあります。

 

 

なので、たくさんの人に逢って、たくさんの自分を教えてもらえばいいのです。

その中から、だんだん自分がぼんやりと見えてきます。

そして、たくさんの人に逢ってきた、一流の人と逢うことです。

 

たくさんの人に逢って、たくさんの人に教えてきた師と出逢うことができれば

自分を掴むヒントに気づくことができるでしょう。

 

自分のことが知りたければ

多くの人と逢うことで、少しずつ自分が分かってきます。

 

そして、本来の自己と知りたい自分が一致した時

本当の自分になるのです。

 

 

本当の自分に出会えたら

さらに自己を掘り下げ続ければいいのです。

 

とどのつまり

人間を深めるためには

自己を掘り下げることと

多くの人、しかも一流の師と逢うことが

必須なのです。