人生の道しるべ

人生には、ほんといろいろなことが起きます。

悩みます。

迷います。

 

そんな時、頼りになるのが、道しるべです。

自分自身の道しるべです。

道しるべを創るのに、頼りになるのが、教えです。

お釈迦様の教えをまとめた、お経は、

人生の道しるべなのです。

人は他人しか幸せにできない

自分以外の人を幸せにするために、

自分が何をできるかを考えて行動してみる。

自分のことをまず手放そう。

 

「人は他人しか幸せにできない」

 

以前出会った西尾さんから学びました。

お釈迦様も同じことを言っています。

 

我への執着を離れ、まず与える。

 

布施

愛語

利行

同事

 

自分ではなく自分以外の人のために動く。

人と逢う

曹洞宗の開祖道元禅師は、教えを求めて人に逢いに行きました。

日本では、師と呼べる人と出逢うことがありませんでした。

ついに、中国に渡ってまで人との出逢いを求めました。

ようやく、師と仰ぐ人と出逢いました。

 

「これ、人と逢うなり」

 

という言葉を残しています。

人との出逢いは、待っているだけでは逢えません。

逢いに行くのです。

緩すぎず張りすぎず

お釈迦様の弟子にソーナと言う琴の名手がいました。

一心に修行に励み悟りの境地を体得しようと精進を重ねていました。

でもどうしても悟ることができません。

ソーナは、ますます修行に励みました。

そんなソーナを見たお釈迦様は、ソーナに言いました。

「ソーナよ。張りすぎた琴の弦は、いい音を奏でるかい?」

「いいえ。お釈迦様。張りすぎた弦は、いい音を奏でることはありません。」

「それでは、ソーナよ。緩すぎる琴の弦は、どうだろう?」

「はい、お釈迦様。緩すぎる琴の弦も、いい音を奏でることはありません。」

「最後にソーナよ。張りすぎず、緩すぎず、ちょうどいい具合に張られた琴の弦は、いい音を奏でることが、できるだろうか?」

「はい、お釈迦様。張りすぎず、緩すぎず、ちょうどいい具合に張られた弦は、いい音を奏でることができます。」

「ソーナよ、修行もそうなのだ。張りすぎず緩すぎず、中道を保ち続けることが、大切なのだ。そのように、励みなさい。」

 

人生も同じです。

仕事も同じです。

毎日も同じです。

 

張りすぎず緩すぎないことが肝要です。

雨でも石に穴を開ける

奈良時代の僧、明詮法師は、10歳の時、奈良の元興寺に入りました。

ところが、意欲はあるのですが、なかなか理解ができず、先輩僧からは馬鹿にされていました。

さらに、明詮は、飽きっぽいため、辛い修行も最後まで辛抱できそうもありません。

気持ちが萎えた明詮は、

「こんな気持ちでは、佛道修行を達成することなどできそうもない。父母には申し訳ないが、続けられそうにないな」と思い、

お寺を密かに抜け出し、隠れていました。

 

そんな折、雨が振り出しのです。

どこにも動くことができず、木の下でじっとしていました。

雨だれが石の上に落ちるのが、意識することなく目に入りました。

ぼんやり眺めていた少年明詮は、ある事に気づきました。

 

雨が落ちている所に、穴があいていたのです。

 

「あんなに硬い石でも、水は、穴を開けることが出来る。

ずっと長い間、落ち続けていたからだ。

佛道修行を全うするという夢を抱いて、お寺に入ったじゃないか。

自分が、なかなか理解が出来ないのは、やり続けることが足りないからだ。

精進が足りないだけだ。

雨が、石に穴を開けることが出来るように、

一つのことをずっとやり続けていれば、

どんなに時間が掛かったとしても、

やり通すことが出来るに違いない。」

 

少年明詮は、そう、心に強く刻みました。

そして、逃げ出すことをやめ、寺に戻り諦めることなく、修行を重ねたのです。

 

「これを叶える」と決めた夢は、

けっして消えてなくなったりすることはありません。

途中であきらめたり逃げたりしてしまうのは、あなたのほうなのです。

あきらめることができなくなる

多くの事業家が同じように、言います。

「あきらめないことです。」

「成功するまで、あきらめないことが、コツです。」と。

 

一流のアスリートも言います。

「絶対にあきらめませんでした。」

科学者も言います。

「あきらめずに、やり続けた結果です。」

 

あきらめないことの大切さを訴えています。

 

衆生は、本来仏です。

つまり、私たちは、元々仏なのです。

仏が、行じているのです。

そのことに気づくとあきらめないのではなく、

あきらめることができなくなるのです。

仏が行じているのですから。

迷いの時には

どんな立場の人でも迷いはあります。

迷っていることを恥じてしまう自分がいますが、そうでは、ないようです。

 

「迷を大悟するは、諸仏なり。悟を大迷するは、衆生なり。」

 

道元禅師の言葉です。

迷っている時には、ひたすら迷っていいのです。

迷いと一体となってしまうのが、仏なのです。

悟りを追い求めて、迷うのが、私たち凡夫なのです。

坐禅の時には、坐禅をする。

食事の時には、食事をする。

仕事の時には、仕事をする。

迷いの時には、ただ迷う。

すると不思議なんですね。

すーっと楽になる時が、必ず来るんです。

さらに一歩進む

「百尺竿頭進一歩」(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)があります。

百尺とは、長さ。およそ30mほどの長さです。

竿は、物干しなどに使う、さおです。30mほどの竿の先にいても、さらに一歩を進めよ、ということです。

具体的な30mの竿を言っているのではなく、百尺ほどの境地まで達しているが、そこで終わりではなくさらに精進して、先へ進めという修行の戒めを表しています。

ああ、やり終えた。これで、満足だ。

と思ったら、その先にさらに進むことを意識しないとなぜか、人は、退歩を始めてしまうのです。

もちろん休憩も必要です。

いろいろが調ったらさらに前に進みましょう。

次のステージが待っています。

どこまで行っても、その先のステージがあるんですね。

人に伝える、人の見本になるというステージも待っています。

もうこれでいい、ということは、ないのかもしれません。

死ぬまで成長です。

明珠在掌(みょうじゅざいしょう)

明珠在掌(みょうじゅざいしょう)という言葉があります

明珠とは仏性をいいます

仏性とは、だれもが生まれながらに持っている仏の心です

仏性は、外にあるのではなく

手のひらにすでにあるのだということを

この言葉は言っています

宝物を探しに外ばかりに目を向けてしまいます

ですが、すでに誰もが持っているのです

自分が持っている宝物に気づいて

磨いていくことが大切なのだけれど

どうしても外に目が向いてしまいます

禅の教えを説いた「碧巌録」に納められています

等身大で

最近感じるのです

自分をずいぶん小さく感じていて

かえって卑屈になってしまい

生きにくくしてしまっている人が多いなあと

また、自分を自分以上に見せ続けてしまうと

やっぱりどこかに無理が出ます

なので等身大で無理なく生きていきたいものです